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難民・難民申請者を送還するということ

時事に伴う情報更新と構成変更のため、2023年3月に改訂版を作成しました。こちらをご覧ください

[航空機を遠くから眺める、子どもを含む難民の写真]

©Amnesty International/Refugee in dadaab

「迫害の危険がある国へ難民を送還してはならない」

これは、「ノン・ルフールマン原則」と言われ、難民保護の礎石です。
この原則は、難民認定を受けた人だけでなく、難民申請手続き中の人にもあてはまります。

一方で、残念ながら、難民申請中にもかかわらず送還されてしまうことが、海外でも、そして日本でも、起きているのが現実です。そして今、日本では、送還について大きく見直されようとしています。難民申請中は送還が停止になる手続きに一部例外を設けようという内容が含まれた法改定案(改正法案)が、2021年2月に閣議決定。今春の国会での審議を経て、法改定される可能性が迫っています。

法案をめぐる法務省の発表や報道を通じて、複数回の難民申請者が送還停止の対象外になるのは、すでに不認定の判断がなされたのだから仕方がない、と捉えられがちです。しかし、この記事でも紹介しているように、二度の難民不認定を乗り越えて後に難民認定を得た人もいます。難民が適切に保護されていない日本の手続きには、国連をはじめとする各方面から課題が指摘されており、難民たちの支援に寄り添う弁護士からも、難民保護に向けた改善よりも送還可能な仕組みがすすむことの危機感が語られています。

言葉の壁や様々なリスクから声をあげられない難民の方々も多く、日本で暮らす私たちが法案の問題を知り、関心・懸念を示すことが、法改定を目前にした今できることです。一人ひとりの皆さんに、難民・難民申請者を送還することの危険性について考えていただけたらと思います。

[目次]
● 難民と難民申請者を送還してはいけない
・ノン・ルフールマン原則についてもっと詳しく
● 送還されてしまった事例
・イギリスからコンゴ民主共和国(DRC)に送還された人の事例
● 日本から送還されてしまった事例
● 送還をぎりぎりで免れ、後に日本で難民認定された事例
● 日本の送還の課題は
● 今日本では、送還について大きな見直しがされようとしています
● 大橋弁護士へのインタビュー
● 参考:難民申請者を取り巻く、日本の送還の手続きと現状

難民と難民申請者を送還してはいけない

難民を送還してはならないという「ノン・ルフールマン原則」(ルフールマンはフランス語で「送還」の意)は、難民保護において最も重要です。日本も加入している難民条約には、次のように規定されています。

締約国は、難民を、いかなる方法によっても、人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見のためにその生命または自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放しまたは送還してはならない。(33条(1))

ノン・ルフールマン原則は、難民申請者にも同様に当てはまります。難民申請者(庇護希望者)は、難民である可能性があるので、その判断がなされる前に送還されてはならないのです(*2)。

ノン・ルフールマン原則についてもっと詳しく

ノン・ルフールマン原則は非常に強い概念です。そのため、難民条約だけでなく、拷問等禁止条約(3条)、自由権規約(6条・7条)などの国際的な人権条約でも定められています。さらに、「絶対的規範」として、条約の締約国でない国さえも拘束し、例外なくすべての人を対象にするなど、外国における人権侵害から逃れてきた人に対する実効的な保護を確保するため発展してきました(*3)。

なお、難民条約には、ノン・ルフールマン原則の例外が非常に限定的ながらあります。難民の滞在国の安全に非常に深刻な危険を持つ場合や、殺人、強姦、武装強盗など特に重大な犯罪について有罪が確定している場合です(33条(2))。そのような例外の適用においても、適正な手続きがなされる必要があり、送還により拷問などの相当な危険につながる状況があってはならないとされています(*4)。

送還されてしまった事例

難民に対して、①「難民条約上の難民には当てはまらない」という判断に加えて、➁「送還しても基本的人権が脅かされる重大な危険性がない」という合理的な判断がなされるまでは、原則として送還はしてはならないーー送還は絶対に避けなければならないというのが国際的なルールです。

適正な難民審査が行われなかったり、出身国状況の認識が誤っていたことで、難民が送還されてしまった場合、迫害や深刻な人権侵害を受ける危険性が生じます。

イギリスからコンゴ民主共和国(DRC)に送還された人の事例(*5)

2016年12月2日にイギリスから送還されたDN氏は、空港内で国家情報局により拘束され、尋問された。その際、DNは治療が必要なほどの拷問の被害を受けた。牢獄から抜け出した後、DNは病院に体から毒を抜くために病院に駆け込み、緊急で胃洗浄とバリウム浣腸を受けた。DNは(DRCの国家情報局から)隠れて生活することを余儀なくされている。

調査したイギリスの難民支援団体によると、DRCでは送還された難民申請者への拘禁、拷問、強制的な身代金の支払い、レイプやセクシャルハラスメントが断続的に報告されています。送還された人の状況を把握するのは大変困難です。送還先での迫害の実態が明らかにされているのは一部に過ぎないということにも留意する必要があります。

そして日本でも、残念ながら、難民申請者が送還されるケースがあります。

日本から送還されてしまった事例

トルコ国籍のクルド人難民申請者・Kさんは1998年に収容をおそれ、自費出国による送還のかたちで日本から出国しました。当時は難民申請者数が数十人から百人超に”急増”していました。そのため入管は、1997年から、在留資格のない難民申請者を突然連行して収容したり、一次審査で不認定にすると同時に収容したりする、収容強化措置によって申請の抑制を図っていました。当時の収容施設(東京入管第2庁舎)は、今の東京入管収容場と比較しても劣悪な環境で、陽も差さず、長期収容に耐えられるものではありませんでした。一時的に収容から解かれる「仮放免」もあまり出ませんでした。現在は難民申請中は送還が停止される手続きがありますが、当時はありませんでした。

帰国直後、KさんはPKK(クルド労働者党)のテロ活動を支援していたという容疑で逮捕され、警察対テロ支部によって取り調べを受け、のち起訴されました。本人は否認しており、裁判中だった1999年に自宅で殺されました。その事件は、トルコ国内でも報道されています。(K さんを担当していたクルド難民弁護団・大橋毅弁護士 談)
※大橋弁護士のインタビューは、後項よりご覧いただけます。

送還をぎりぎりで免れ、後に日本で難民認定された事例(*6)

2007年に日本にたどり着いたエチオピア出身のブルクタウィットさん。エチオピアでは、反政府的な発信をすることで起訴や投獄・拷問される状況が長く続いています。彼女も、野党のメンバーとして、デモなどに積極的に参加し、国を変えるため奔走していました。危険とは分かっていましたが、皆が泣き寝入りしてしまっては、状況は一向に改善しない―そんな自由を求める思いからでした。次第に当局に目をつけられ、二度に渡り逮捕・拘留されたそうです。大金と引き換えに釈放されたものの、いつまた捕まってもおかしくない状況で、家族にも危険は迫っていました。出国の手配をするにあたり、最初に観光ビザがおりたのが日本でした。難民の証拠を用意することは危険の増す行為のため、ショルダーバックの裏地を切って書類を忍ばせ、なんとか空港を突破できました。

成田空港に到着しました。しかし、短期滞在の資格はあったものの、エチオピアのアムハラ語しか分からず、所持金が日本円に換算すると十分にないため、入国を拒否されてしまいました。収容され、難民申請をしましたが、数日後に再び空港へ連れていかれてしまいます。送還されそうになっていることに気づき、力の限り泣き叫び抵抗したことで送還は中止になりました。しかし、収容施設に戻され、そのまま収容された期間は計1年以上。仮放免されましたが、難民申請の結果が不認定となり再度収容されます。強制送還の恐怖は消えず、過度のストレスで耳が聞こえなくなったり、記憶障害にも襲われました。難民として保護してほしいと二度目の申請をし、送還も間際で止めることができました。再申請もあっけなく不認定。しかし、弁護士とともに裁判を戦い、2010年に勝訴、そして難民として在留が認められました。

[ブルクタウィットさん。木を背景に、笑顔でこちらを見つめる写真。]

彼女のように、難民認定された人のうち、退去強制令書が発付されていた人は、2010~18年で43人(5人に1人以上の割合)にのぼります。難民審査や出身国の状況の評価は、命ととなりあわせです。

<図1:難民認定・人道配慮における内訳(2010年~2018年)>

難民認定者数201020112012201320142015201620172018合計
39211861127282042212
うち、再申請者1112021219
認定者に占める再申請者の割合14%17%18%0%7%5%5%9.0%
うち、過去に退去強制令書の発付処分を受けたことのある者118922321543
認定者に占める退令発付者の割合28%38%50%33%18%11%7%5%12%20.3%

・難民認定者数、人道配慮数:法務省HPより
・再申請に関するデータ:質問主意書より(第189回国会 質問第233号、第190回国会 質問第90号、第193回国会 質問第146号)※2018年のデータは第3回専門部会資料より
・退去強制令書に関するデータ:移住連省庁交渉より ※2018年のデータは第3回専門部会資料より

日本の送還の課題は

残念ながら、ノン・ルフールマン原則が守られないことがあります。なぜなら、各国の審査体制が不十分で、適切な信憑性の評価が行われず、正確に出身国の情報収集や評価をしない場合には送還が可能となってしまうからです。
ブルクタウィットさんの場合でも、アムハラ語しか分からず、初めての国で初めての施設を行き来する中で、もし「送還されそうになっている」と勘が働かず力の限り抵抗をしなければ、弁護士がついていなければ、送還をされていたかもしれません。二度の難民申請で、出入国在留管理庁(入管庁)からは不認定の判断がなされており、送還は目の前にありました。

迫害のおそれがあり国へ帰れないと訴える人の滞在の可否を決め、命にかかわるといえる難民審査。しかし、日本でこれを担っている入管庁の審査には多くの問題が指摘されています。結果として、送還に深刻な危険を伴う人にも滞在を認めない判断が下され、図2のように、難民認定の門は限りなく狭く閉ざされています。難民保護としての機能が果たされていません。

<図2:「UNHCR Refugee Data Finder」より当会作成 単位:人>

ドイツ=認定数 53,973 / 認定率 25.9%、米国=認定数 44,614 / 認定率 29.6%、フランス=認定数 30,051 / 認定率 18.5%、カナダ=認定数 27,168 / 認定率 55.7%、英国=認定数 16,516 / 認定率 46.2%、日本=認定数 44 / 認定率 0.4%

日本の難民審査には、透明性・公正性の観点で課題が多く指摘されています。

・難民認定の実務を入管庁が担っているため、難民を「保護する(助ける)」より、「管理する(取り締まる)」という視点が強いという、難民認定制度のそもそものあり方に問題があります。空港で難民として助けてほしいと訴えても、上陸が許可されず、そのまま収容されたり、難民不認定と同時に収容・送還されたりする事態が起きやすく、実際に起きています。本来は、治安上のリスクに関して入管庁のチェックを受けた後に、別の独立した政府機関が難民の審査を行うべきです。

・難民申請手続きの透明性が不十分です。一次審査の面接に弁護士の同席も認められず、録音・録画がないのは、日本の特徴的な点です(図3)。諸外国では、面接の様子を録音・録画し、申請者にそのデータを共有するといった取り組みも行われています。現状では、入管庁職員が作成した調書や通訳が正確か確認することは困難です。難民不認定の理由の説明も不十分です。判断する側が有する情報は開示されません。

・難民として当てはまるかどうかの基準が明確ではありません。また、迫害のおそれを裏付ける「客観的な証拠」が過度に重視されたり、証拠を提出しても「証拠価値がない」とされる場合もあり、それらの判断基準は明らかにされていません。本人の供述の評価にも問題があります。日本の難民・迫害の解釈はとても狭く、厳しいと指摘されています。

これらの点は、法務大臣自身が設置した有識者会議やUNHCRでも指摘されています(*7)。

※そのほか、手続きの課題については以下も参照ください。
・後掲 参考:難民申請者を取り巻く、日本の送還の手続きと現状
・難民支援協会「法務省による2019年の難民認定者数等の発表をうけて
・難民支援協会「日本の難民認定はなぜ少ないか?-制度面の課題から
弁護士同伴の可否録画・録音の可否
オーストラリア
カナダ
フランス
ドイツ
日本××
ニュージーランド
韓国
英国
米国×

<図3:一次審査において、2点とも認められていないのは上記9か国中、日本のみ(ただし、親を伴わない年少者など、脆弱性が高い者に限って弁護士やカウンセラーなどの立会いを認める運用が2017年より試行されている)。(難民研究フォーラムより)>

 

適切な難民審査がなされていない上、送還についても司法など別の機関の判断が入ることなく、すべて入管庁だけで決定できる日本の強制送還に対しては、国連からも勧告がなされています(*8)。

日本では、これらの難民審査の改善がまず図られ、保護されるべき人が保護をされる必要があります。ブルクタウィットさんのように、本人の努力や様々な運・偶然によって左右されるものであってはなりません。誤って送還するリスクを限りなく減らす仕組みづくりを行うべきではないでしょうか。

今日本では、送還について大きな見直しがされようとしています

近年、難民申請者の急増、難民申請手続きの長期化を背景とし、「送還忌避問題が深刻化している(*9)」とされ、「送還忌避者」という言葉が出てきました(*10)。そして、2019年10月、法務大臣のもとに「収容・送還に関する専門部会」が設置(*11)。有識者や実務者からなる委員によって、「送還を促進するための措置の在り方」と「収容の在り方」について2020年6月に提言が示され提言を受けた「改正法案」が2021年2月に閣議決定されました。2021年春からの通常国会で審議される予定です。

提言等の中には、「庇護を要する者を適切に保護しつつ、送還の回避を目的とする難民認定申請に対処するため」として、現状では難民申請中は送還が止められる手続き(送還停止効)に、一部例外(難民申請が3回目以降の人など)を設けることが含まれています。そのほか、「送還忌避罪」の導入なども挙げられています。

しかし、これらの提言の前提として、「送還忌避問題が深刻」「送還忌避者の増加(*12)」ということが挙げられていますが、法務省は、2018年以前の送還忌避者の実態をそもそも「集計していない(*13)」と回答しています。また、図4(文末)のように、送還・帰国者数は実は年々伸びています。

「難民申請をすれば送還が停止されることを濫用・悪用しているケースがある(*14)」ともされています。特に複数回の難民申請が注視され、難民申請中の送還の一時停止の手続きから対象外にしよう、と考えられています。しかし、上述の事例や図1が示すように複数回難民申請により庇護が受けられた人はいます。加えて、99%以上が難民として認められない日本の厳格すぎる審査と今なお向き合い、収容されながらも留まっている申請者がたくさんいます。

ノン・ルフールマン原則を遵守するために、難民申請者は例外なく送還停止がなされるべきです。明らかに理由がない難民申請の場合でも、もともとの決定をした機関とは別の独立した機関・裁判所などに不服申立ての権利が認められ、かつその機関や情報の専門性・正確性が担保される必要があります(*15 16)。

万一誤った判断で送還されたら、その命に私たちはどう向き合ったらいいのでしょうか。この方針転換から考えるべき私たちの国の姿勢が問われています。

日本は、労働力として外国人材を活用したいという姿勢も示しています。このように送還や収容の課題を指摘すれば、難民受け入れの負担的側面にばかり目が向いてしまいますが、難民申請者を取り締まることを重視して捉えるのではなく、あるべき制度に整えた上で、日本社会で働き、生活していけるように転換していくような、両者にとってのぞましい発想もあるのではないかと考えます。

15名以上の人々が並び、アフガニスタンへの送還に反対するメッセージを掲げて、抗議の声を上げている様子の写真
©Tomi Asikainen/Amnesty International Finland

大橋弁護士へのインタビュー

ーー大橋弁護士は、クルド難民弁護団として長年難民支援をされています。トルコ国籍の難民申請者の大半を占めているクルド人について、日本はこれまで1人も難民認定をしていません。これまでの担当事案で、送還されてしまった方はいますか。

前述のKさんは、日本では中心的な政治活動家だったと思っています。

クルド人は「世界最大の少数民族」と言われます。3千万人ほどがいるとされており、トルコ、イラク、イラン、シリアなどに暮らしていますが、クルド人による国家はありません。トルコでは、クルド人による国家の設立を求める活動は犯罪であり、クルド語を話すことなども犯罪とされたりした歴史があります。

Kさんがトルコで取り調べられた内容は、日本でクルド人たちが民族の団体を設立するために行なっていた会合についてで、捜査機関から反政府組織活動と断定されたのです。これは、後に、トルコの対テロ本部での尋問記録が手に入ったことで明らかになり、誰がその会合に来ていたかなども書かれていました。法務省も、2004年でトルコ現地で調査(*17)を行った際に「記録は本物だ」と認めています。

なお、その会合で話されていた民族の団体が、後に、2003年に設立された「クルディスタン&日本友好協会(*18)」でした。埼玉県蕨市に、在日クルド人が小さな事務所を借りて開設した手作りの団体です。互助と、日本にクルド文化を紹介することを目的とするもので、もちろんテロ行為と無関係でした。

トルコ国籍クルド人のFさんの話をします。
難民不認定とされて収容、2004年に自費出国で送還され、イスタンブール空港で拘束。かばんに入っていた、日本における、友好協会主催の集会や祭り、フットサル大会の写真が押収されました。フットサル大会は、難民申請者を支援する日本人たちが協力して実施したイベントでしたが、そのユニフォームのマークが‟非合法組織”の旗とみなされたことや、祭り等に参加したことを「非合法組織を援助した」という犯罪として、Fさんは、3年9カ月の懲役刑の判決を受けました。裁判係属中に釈放されて偽名で脱出したFさんは、再度日本で難民申請しています。
写真に写っていた数十人も指名手配されました。その結果、突然逮捕され、約十時間かかる場所までほかの数人と押し込められて移送され、排泄等もまともに認められず屈辱的な取り扱いを受けた話なども聞いています。

ーー日本で暮らしていると想像もつかない厳しさがあるのですね。

2006年に当時の小泉純一郎首相がトルコを訪問した際にエルドアン首相(当時)が同協会事務所について、「閉鎖してほしい」などと要求したと報道されています(*19)。2003年にトルコを訪問した日本の参議院副議長にも同様の要求があったそうです。 私自身、まさか友好協会の設立に首相が弾圧に乗り出すなどと思ってもみませんでした。「クルディスタン」という言葉が、クルド人の「国」という風に捉えられたのでしょうか。2009年の米国国務省報告書等は、「トルコで、単なる集会参加によって処罰され得る状況があり、拷問・虐待が行われ、民族対立が高まっている」と指摘し、2012年にも同様の記載があります。

[大橋弁護士顔写真]しかし、Fさんは難民の再申請でも不認定となり、その後高裁でも認められませんでした。判決は、上記の米国国務省報告書等の内容を、「2012 年(結審時)においても同じ状況があるとは考え難い」と判示しています。

出身国の人権状況を国も裁判所も見誤ることの危険性は甚大です。

(写真:オンラインでのインタビューに答えてくださった大橋弁護士)

ーー送還に至るまでも、本人にどのような説明がなされているのかなど外からはよく分からないです。

ある日入管職員から「明日、関西空港に行く。荷物をまとめるように」と言われ、空港で担当者から「あなたは無理矢理帰す」と言われたと言っていた人もいました。「弁護士に電話をしたい」と言ったら、「ダメ」と言われ、「帰らない」と言ったら、手錠をされ、手足を捕まれて、持ち上げられて運ばれ、飛行機に乗せられたそうです。

難民不認定決定を受けた直後の送還の執行は、裁判を受ける権利の侵害です。しかも、難民を保護する部門が決定(難民不認定の決定)の通知の時期を調整して、送還する部門の執行と符合させるのは、おかしいことです。

注:2016年2月、スリランカ出身のタミル人難民申請者が、26日に難民不認定の判断の取り消しを求め、裁判を起こすための委任状を弁護士に預けていたが、翌早朝に突如送還された事例なども報道されています(*20)。

ーー難民申請中の送還停止措置(送還停止効)がなかったこと、収容の厳しさなど、現状の国の議論はKさんの時代を少し思い出させるようでもありますが、法改定によって、難民申請中の送還停止に一部例外が設けられたら送還は増えるでしょうか。

間違いなく増えるでしょう。

ーー難民申請者のなかには、自費出国によって送還に応じる人もいます。

自費出国のケースについて、例えば前述のKさんのように、収容されることが怖いという人もいます。トルコに帰って捕まるのと、日本で捕まるのとどちらが厳しいのか。Fさんは、3年9カ月の実刑でしたが、日本でも3年収容されている人はざらにいて、いつ出られるか分かりません。その先の、日本での生活の見込みもありません。その結果、耐えられなくなって帰国という選択をします。そのようにして難民申請数も抑制されることを入管庁も期待して、収容という措置を政策的に使っているのではないでしょうか。入管庁としては出国すれば関係はないのです。身体拘束を政策的に使うのは根本的に間違いです。日本のような無制限の収容は国際的には誤りです。

帰国したらどうなるか。それは場合によります。すでに指名手配されているなどであれば空港で拘束されるでしょうが、別の場合には、ある意味ギャンブル的というか、迫害にあうかもしれないし、捕まらない可能性もあるでしょう。日本で難民申請した人で、帰国したあとに、何とかヨーロッパやオーストラリアに逃げて難民認定を得た人が複数います。日本で追い詰められた人がそのような道を選ぶことは、合理的な判断と思います。

また、家族の関係も大きいです。呼び寄せた妻子が日本で困窮すると、支援者としては帰らないほうがいいと思っても、帰るケースもあります。

ーー難民申請者の中には退去強制令書の発付をされている人もおり、日本の法律や手続きを守らない人がおかしいという意見も見られます。

例えば空港で難民認定申請をした人には、退去強制令書が出されてしまいますが、犯罪者だからではありません。なぜなら、その人は、犯罪をするどころか日本社会に一歩も踏み入れないうちに退去強制令書を出されてしまうのです。退去強制令書は犯罪を意味しません。また、「日本にいてはいけない人だ」というのもおかしいです。難民申請中でも一旦退去強制令書が出され、しかし審査を受けている間は送還をしないことにして、難民認定の結果によっては退去強制令書が撤回されることになるというのが、そもそも日本の制度です。未だ審査中なのですから、「日本にいてはいけない人」かどうかも決まっていないのです。

複数回難民申請をしている人についても、難民申請に新たな理由が発生しているのかもしれません。複数回申請について、法務省の専門部会での提言(*21)を真正面から議論しないで送還しようとしているのは誤りです。

ーー送還というのは、母国で迫害のおそれがあると主張する者にとって最大の恐怖ですが、日本では難民認定率も低く、覚悟の上で帰国する人もいるなど厳しい状況です。弁護士としてどのような思いで支援しているのですか。

難民申請という本国の迫害からの保護のために手続きを支援するのが支援活動の本来の役目だったはずが、今は日本でのむごさと向き合うばかりで、複雑な思いです。
でも、難民申請者たちが感じる不条理はさらなるものだと思います。

ーー送還対象者になかなか直接的な支援はできませんが、一般の人でも何かできることはありますか?

まず知ることです。ただ、本国からの保護のために難民の事情を公表することは控えなければならない面があり、私たちもこの現状をどうしたら広く伝えることができるのか、本当に悩ましく思っています。
心理学の用語で「公正世界仮説」という言葉があるそうです。理不尽にひどい目にあっている人を見ても、世界は公正だと信じたいために、理不尽な事態を認識したくないという心理的なバイアスがかかり、その人も悪いことをしていたはずと思ってしまうのだそうです。しかし、みなさんに、この日本の現状を直視してほしいと思います。

大橋毅弁護士(プロフィール)

クルド難民弁護団事務局長。 20年以上にわたりクルド人難民の弁護活動を続ける。東京弁護士会所属 (42期)。日弁連人権擁護委員会特別委嘱委員(難民特別部会)。

 

(参考)難民申請者を取り巻く、日本の送還の手続きと現状

日本では「退去強制令書」が発付されると、入管庁の入国警備官は、速やかにその外国人を送還しなければならないのが原則とされています(*22)。退去強制令書は、大まかにいって、正規のパスポートやビザ、在留資格を有していない人に対して発付されます。

2018年に退去強制令書の発付を受けたのは8,865人。同年に送還が実施されたのは9,369人でした。送還には、自費出国や国費送還などの形態があります。9,369人のケースの主な内訳は、自費出国 8,755人、国費送還517人です。

各年の送還数の推移。詳細は以下。2014年5,542、2015年6,174、2016年7,014、2017年8,145、2018年9,369、2019年9,597件。なお、2018年の総送還数の内訳は本文のとおり。

<図4:入管庁資料(*23)より当会作成>

 

つまり、大半は、自費出国に応じていることが分かります。

送還を拒み、最終的に国費送還をされた人、もしくは収容が続いている人(*24)は、帰れない事情があると主張した/している人です。帰れない事情を抱える人の多くに、難民申請中の人が含まれています。

難民としての特徴が、非正規での入国をせざるを得ないことにつながっている側面もあります。例えば、難民は自分を迫害する本国政府が発行するパスポートやビザなどの書類を整えにくい傾向にあると言え、そのため、難民条約31条には、「庇護申請国へ不法入国しまた不法にいることを理由として、難民を罰してはいけない」と定められているのですが、そのような人が空港で難民申請を希望しても、日本ではほとんどの場合、特別に在留を許可する事情がないとされ、退去強制令書が発付されます。

また、入国時には正規の資格がある場合も、在留資格の期限を超えてしまい(オーバーステイ)、非正規滞在となってから難民申請をせざるを得なかった事情の人もいます。準備もなく命からがら逃れてくる状況で、外国である日本の難民に関する手続きについて知ること、行うことは簡単ではありません。空港等で難民申請手続きをするよう積極的に情報発信する国もありますが、日本はそうとはいえません。このような場合も、退去強制令書の対象です。※後述のように、オーバーステイで難民申請しても認定された人はいます。

ただし、国際的なルールと同様に、日本の法律(出入国管理及び難民認定法)でも、送還先はノン・ルフールマン原則に反する領域を含まないものとなっています(*25)。また、難民申請中は「送還の執行を行わない(*26)」となっています(これを送還停止効といいます)。

退去強制令書の発付を受けた人を、直ちに送還できないときは、送還可能な時まで収容できるとされています。つまり、難民申請者は空港での難民申請と同時に収容されたり、収容期間が長期化する場合が多く、大きな問題となっているのです(収容問題の詳細はこちらを参照)。

そして、難民認定手続きがすべて(*27)不認定となった場合や不認定の取り消しを求めて起こした訴訟が棄却されたり、本人が難民申請を取り下げた場合などは送還が実行可能となります。

※注:送還に最終的に応じた難民申請者の中にも難民の可能性が高かった人もいると考えられます(詳細は、上記の大橋弁護士のインタビューをご覧ください)。

<図5:空港での庇護希望者への手続き図(概要)>

空港で庇護希望の有無 → 希望ありの場合、一時庇護上陸許可の判断 → 不許可の場合 → 難民申請→在留資格がない難民申請者の滞在を認める仮滞在許可の判断 → 仮滞在不許可となると「在留資格なし」の状態となる。 各判断において許可されると、一定の条件下で滞在が許可されたものとなる。
※上記灰色部分の手続と併行して、退去強制手続が行われる。一般的に、退令手続の間は空港又は空港周辺の入管施設に収容されるが、退去強制令書の発付を受けても退去をしない場合、そのまま収容は継続され、仮放免許可が出ない限り、解放されることはない。なお、一時庇護や仮滞在制度など、難民申請者の在留を認めるための制度はほとんど使われていない。

 

更新 2021年3月:時事に伴う情報更新および本文の構成変更
   2022年1月:リンク先におけるURL変更により、一部URL修正

*1 阿部浩己、難民研究フォーラム研究会「難民の送還:収容・送還に関する専門部会の議論から考える」報告書より
*2 UNHCR「難民の権利と義務
*3 川村真理「外国における人権侵害とノン・ルフールマン原則―難民法・人権法の適用範囲と実効性―
*4 前掲注2
*5 難民研究フォーラム「[事例集]送還された難民・難民申請者とその後
*6 難民支援協会「自由への道ーエチオピアと日本の狭間で
*7 法務省「難民認定制度の見直しの方向性に関する検討結果(報告)」、UNHCR「日本と世界における難民・国内避難民・無国籍者に関する問題について(日本への提案)更新版」。
*8 拷問等禁止委員会定期報告に関する総括所見(第2回)(2013年6月28日)、自由権規約委員会第6回政府報告書審査(2014年8月20日)など
*9 第192回国会・参議院法務委員会での金田勝年法務大臣の答弁(2016年10月20日)、第196国会・衆議院法務委員会での上川陽子法務大臣の答弁(2018年5月9日)
*10 出入国在留管理基本計画(案)に対するパブリックコメントへの法務省の回答(2019年4月26日)および第201回国会・衆議院予算第三分科会での高嶋政府参考人の答弁(2020年2月25日)
*11 法務省「収容・送還に関する専門部会
*12 出入国在留管理庁「第7次出入国管理政策懇談会における「収容・送還に関する専門部会」の開催について」など
*13 第200回国会第84号「参議院議員福島みずほ君提出外国人の収容および「送還忌避」に関する質問主意書
*14 前掲注11「第4回議事概要
*15 前掲注11「第2回会合UNHCR提出資料
*16 イギリスには、「明らかに根拠のない」主張に基づく難民申請者に対して、一次審査において不認定となった場合、英国内での不服申し立てを認めない制度がある(Non-Suspensive Appeal Procedure:NSA)。NSA適用可否の判断にあたって、様々な手続きを経る必要があり、控訴院に提訴する権利もある。その上、第三者機関の勧告等を受け、ガイドラインが改訂され、その適切な運用のために努力が図られている。他方、不適切なNSAの適用事例も認められる(難民研究フォーラム「イギリスの難民該当性審査の迅速処理制度とその課題」)
*17 現地調査についての詳細はこちら
*18 現在は閉鎖されている
*19 根本かおる『難民鎖国ニッポンのゆくえ』ポプラ新書、西中誠一郎「いまだ悪夢から覚めることができない ―新しい難民認定制度と難民申請者の現在」『アジア太平洋研究センター年報2005-2006(大阪経済法科大学)』
*20 朝日新聞「スリランカへ強制送還」2016年4月2日
*21 前掲注7
*22 出入国在留管理庁「退去強制令書の執行・送還・自費出国」
*23 出入国在留管理庁「資料3 送還に関する現状(令和元年11月11日)
*24 収容を一時的に解かれる仮放免者も含む
*25 前掲注22
*26 入管法第61条2の6
*27 難民認定手続き中の審査請求を指している