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難民とは

紛争や人権侵害などから命を守るために母国を離れ、逃げざるを得ない人たちのこと。

「難民」と聞くと、自分とは違う、どこか遠い存在のように感じるかもしれません。しかし、難民になる前は私たちと同じように仕事や家があり、家族との日常があった人たちです。そんな人たちが、母国から迫害を受けた、もしくは迫害を受ける恐れがあり、命からがら他国に逃れています。民主化活動に参加したことや、改宗したこと、同性愛者など性的マイノリティであることなど、難民になる理由は様々です。

難民条約は、東西冷戦下で深刻化した難民問題に対処するために、1951年に生まれました。日本も1981年に加入しています。条約ができた当時想定していたのは、東西冷戦中の、いわゆる共産圏からの政治的対立を背景とした難民です。そのため、難民の定義は非常に限定的で、紛争などにより社会経済的に情勢が混乱した結果、難民となる人などは含まれていませんでした。難民条約に加入した国には逃れてきた難民を保護する責任がありますが、世界情勢や難民を生み出す迫害の形態が変化した今、難民条約の限界も指摘されています。各国は国際機関が発行するガイドライン等を踏まえて、保護の対象を広げています。現在、世界全体の難民の数は約6,530万人*。2011年のシリア内戦勃発後は特に増え続けています。難民問題は人の命や人権、そして難民を取りまく世界全体の問題です。それは日本も例外ではありません。
*UNHCR Global Trends 2015

国連は、難民問題の解決策として、3つの提言をしています。ひとつ目は「母国への自発的な帰還」。平和になった国に帰ることですが、難民を生み出す原因である紛争や人権侵害の根を断つことは容易ではありません。ふたつ目は、「一時的に避難した周辺国での定住」。しかし、周辺国の受け入れ能力にも限界があります。現在、世界の5分の4以上の難民を開発途上国が受け入れていると言われており、経済的・社会的な受け入れ能力が十分にない国が難民受け入れを担っているのが現実です。最後は、「別の国での定住」で、一般的には「第三国定住」と言われています。先進諸国を中心に、長期的定住を前提として、難民キャンプなどに留まっている難民を受け入れます。紛争が長期化するなか、第三国定住は重要な解決策になってきています。しかし、この3つの解決策だけでは限界があります。そもそも難民を生み出さない国際秩序の構築に向けた取り組みも、ますます必要になってきています。加えて、人道支援における枠組みの見直しに向けた議論も始まっています。さらには、視点の転換も必要です。難民受け入れを社会の「負担」と捉えるのではなく、難民に就労や教育などの機会を与え、「力」を引き出す取り組みが模索されています。

日本の難民受け入れ

世界各国から逃れてきた難民が、日本にも約2万人が暮らしています。

日本にも、アジア、中東、アフリカなど、世界各国から難民が逃れてきています。これまではミャンマーの独裁政権から逃れてくる人が多くいました。最近では、エチオピア、コンゴ民主共和国、ウガンダなど、アフリカ諸国から逃れてくる人も目立ってきています。

日本をあえて選ぶというよりは、逃れる先を探す中で、最初に日本行きのビザが手に入った、という偶然の理由がほとんどです。そのため、日本の難民申請の厳しさを日本に来て初めて知り、絶望する人も少なくありません。
2015年に日本に逃れてきた難民は7,586人。しかし、同年、難民として認定されたのはわずか27人でした。

[30センチほどの厚みのファイルに収まらない申請書類]ではなぜ、日本での難民受け入れは少ないのでしょうか。日本では、難民条約を厳格に解釈し、「狭義の難民」しか保護の対象としてきませんでした。また、難民認定の実務を法務省入国管理局が担っているため、難民を「保護する(助ける)」というよりは「管理する(取り締まる)」という視点が強いといえます。こうした制度面の課題が、認定率の低さにつながっています。(写真:ある難民が難民認定を得るために法務省入国管理局に提出した証拠書類)

難民受け入れに対して消極的な日本ですが、かつて1万人以上もの難民を受け入れた時期がありました。「ボート・ピープル」と呼ばれるインドシナ難民が逃れてきた、1970年代後半です。インドシナ難民とは、ベトナム戦争終結前後に社会主義へと体制が移行する中で迫害を恐れ、インドシナ3国(ベトナム・ラオス、カンボジア)から逃れた人々のことで、日本は1万人以上を受け入れました。現在でも、2世や3世を含む多くのインドシナ難民が暮らしています。インドシナ難民や難民申請の結果を待っている人々も含めると、日本には約2万人の難民が暮らしているという実態があります。

日本で暮らす難民

最低限の衣(医)・食・住もままならず、来日直後、時にはホームレスとなってしまう人もいます。

知り合いもおらず、言葉もわからない、難民申請に関する情報も持っていない。これが、来日直後の難民が置かれた状況です。数日から数週間で母国からの所持金が底をつき、ホームレス状態に陥ってしまうことも珍しくありません。難民申請の結果が出るまでには平均3年、長い場合だと10年近くかかり、多くの人が先の見えない不安な日々を過ごしています。来日直後で、国民健康保険に入れない難民申請者にとっては、医療の受診も簡単ではありません。診療費が高額になるため、受診が必要でも病院に行くことを我慢し、病気を悪化させてしまうケースもあります。また、難民の中には、来日時に入国許可が下りなかったり、観光ビザなどで来日したものの在留期間が過ぎてしまったりして、外国人を送還するための施設に収容されてしまう人がいます。なかには、長期収容によるストレスや施設内の劣悪な環境から心身を崩す人もおり、過去には死亡事故が起きたこともあります。米国務省による人権報告書でも、日本における申請者の収容の課題が指摘されています。

「難民」というと、ずっと支援が必要というイメージがあるかもしれませんが、果たしてそうでしょうか?新たな土地で生きるために必要な支援を受けた後は、成人であれば働き、納税し、社会の中で自立していく人たちです。「難民」として生き延びるという過酷な経験は、時に、彼らに生きる力の強さや逞しさを与えます。逃れた先でそれらを活かし、社会的に成功している人、受け入れる社会に大きな貢献をしている人もいます。難民が言葉や日本社会の仕組みを学ぶと同時に、私たち自身が難民を受け入れるために学び変わるという視点も重要です。日本にたどり着いた難民の命を救えるのは、日本にいる私たちです。違いを受け入れる寛容さを持ち、多様性を価値として受け止めるかは、私たちが問われる課題です。

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