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[特集]難民の「帰国」を考える

難民にとって「帰国」は、どのような意味を持つものでしょうか。希望の門出。それとも果たせぬ夢・・・。多くの方は故郷への帰還を望みます。しかし、故郷が平和を取り戻し、帰れる状態になるまでには長い年月がかかります。さらに、逃れた先での生活が長期化すればするほど、自身を取り巻く環境は変わり、帰国は難しくなります。

日本には1980年代後半より、ミャンマー(ビルマ)から多くの難民が逃れてきました。全国的に広がった民主化運動を、軍事政権が武力を交えて徹底的に弾圧したからです。以降、2011年に民政移管されるまで激しい抑圧が続きました。ミャンマーは今年11月8日に5年ぶりの総選挙を迎えます。民主化の歩みを軌道に乗せられるかどうかが問われる選挙であり、世界から注目が集まっています。これからの情勢によっては、ミャンマー難民がようやく「帰国」を現実的に考えられるようになるかもしれませんが、大規模な衝突が起きた1988年から実に27年もの月日が流れているのです。生活基盤は日本に移り、日本で子どもが生まれた人もいます。故郷へ帰りたい気持ちが強くあっても、さまざまな難しさがあります。

来日直後は数年で帰れるだろうと期待していた人も少なくありませんでした。たとえば、いまのシリアの状況も同様です。内戦の激化につれて、当初は帰国に望みをつないでいた人たちは、しばらく帰れないことを前提に、将来への希望が持てる国で生活を建て直そうとしています。シリアに平和がもたらされる頃には、逃れた先で生きていくことを選択する人もいるかもしれません。この特集では難民問題のそんな複雑な現実をミャンマーの事例から見ていきます。


1. 家族それぞれの「帰国」

tinwin_2.jpg「散らかっていてごめんなさいね。来週までに全部捨てなきゃいけないんですよ。信じられないでしょ」と快活に笑いながら、自宅に招き入れてくれたティンヌエウーさんと夫のティンウィンさん。カレンダーには「CLEANING FINAL(片づけ最終日)」の文字が来週に迫っている。群馬県太田市での15年の暮らしに幕を閉じ、夫妻は母国ミャンマー(ビルマ)への帰国を決めた。3人の子どもたちは日本に残る。家族で何度も話し合って出した結論だ...続きはこちら

2. これからも日本で生きてゆく

sian_200.jpgテュアン シャン カイさんは在日ミャンマー難民2世。政治的迫害のため日本に逃れたチン民族(ミャンマー北西部チン州をルーツとする少数民族)の両親のもと東京で生まれ育ち、高校卒業後は奨学金を得て関西学院大学総合政策学部に進学した。現在大学4年生、すでに就職も決まったシャンカイさんにここに至るまでのさまざまな出来事、生まれ育った国日本と、祖国ミャンマーについて、いま思うことをきいた...続きはこちら

3. 日本のミャンマー「リトルヤンゴン」からの挑戦

swe_300.jpgミャンマー(ビルマ)人が多く集まり、ミャンマー用品店やレストランが20店舗以上集まる高田馬場は、「リトルヤンゴン」とも呼ばれていることをご存知ですか?現在、高田馬場を含む新宿区には約1,500人のミャンマー出身の方が生活しているといわれています。 民主化が進むと報じられるミャンマーですが、母国に永住帰国しようとする人は一部。民主化に対して不安が残るだけでなく、日本での長い暮らしで生活基盤ができている人も多いためです...続きはこちら


4. ミャンマー政府「公式発表」には入らない民族:ロヒンギャ

rohingya_300.png「ロヒンギャ」という民族を知っていますか? ミャンマー政府からは国籍認定やパスポートの発給さえ認められておらず、国連などからは「最も迫害されてきた民族」と言われています。実は、そんなロヒンギャ民族は、日本にも助けを求めて逃れて来ています。国民の多くが仏教徒であるミャンマーで、イスラム教徒のロヒンギャは、西隣のバングラデシュと接するラカイン州北部に約100万人が暮らしています。ロヒンギャの語源については諸説ありますが...続きはこちら

(2015年11月1日掲載)

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