活動レポート

欠如する「住」のセーフティネット

    日本に逃れてきた難民は、空港に降り立ったその時からどのような現実に直面するのでしょうか? 知り合いもおらず、言葉もわからない、難民申請に関する情報も持っていない。そして、時には数日から数週間で母国からの所持金が尽き、ホームレス状態に陥ってしまう。食べるものがなく、安心して眠れるところもない。冬服の用意がないまま真冬の日本に到着する場合は、暖かい服もない……。命からがら逃れてきたにもかかわらず、衣食住という、人にとっての最低限のセーフティネットすらままならない。これが、日本で難民が直面する現実です。今回は、来日直後の「住」についての現状とJARの支援についてお伝えします。

    なぜホームレスに陥ってしまうのか?

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    来日後、難民申請書を提出した人(難民申請者)で生活が困窮している場合は、政府(外務省)からの公的支援(保護費)を受けることができます。保護費の内訳は、生活費、住居費、医療費です。しかし、この仕組みには多くの課題があり、その一つが保護費申請から受給できるまでにかかる1~2カ月という期間の存在です。一般国民など向けの生活保護は、申請から14日以内に決定を通知することが法律で決められていますが、保護費の場合は法律による保証がありません。受給までに時間がかかる場合は働くことができれば生きていけますが、難民申請をしてから6カ月は就労許可が与えられないため、自活の手段もありません。
    (写真:JARで預かるホームレス状態の難民の荷物)

    JARのシェルター事業-政府に代わりセーフティネット確保

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    このような状況に対して、JARはシェルター(緊急避難部屋)を提供する事業を行っています。JARには年間約70カ国から700人が来訪しますが、その中でシェルターを希望する人は、約1-2割。実際に手配する人はその内約半分前後で、昨年(2016.1-12)は、45人に提供しました。路上生活に陥っている人に加え、持ち金を節約しながら雨の日だけはインターネットカフェでしのいでいる人、モスクなどの宗教施設に身を寄せている人、24時間営業のファーストフード店で夜を明かす人などそれぞれです。いずれにせよ、多くの難民が来日直後からかなり不安定な住居環境に置かれます。(写真:JELAシェルターに入居するビルマ難民)
    このような難民に対し、JARはシェルターの手配を進めますが、すべての人にすぐに手配できるわけではありません。ここ数年はシェルター希望者が増え続け、時には数週間待たせてしまうこともあります。まずは、スタッフが難民から状況を聞き取り、なんとか自分の力で解決できないか、ともに模索します。そのようなカウンセリングの中で、たとえば「来日後に知り合った同国出身者の人からの連絡先がある。もしかしたら、今晩泊めさせてもらえないか聞けるかもしれない」という話を引き出すことができたら、その人に電話を貸して、自ら宿泊先を探してはと促します。
    支援というとモノやお金を「与える」イメージがあるかもしれませんが、それだけでなく、その人の力を「引き出す」ことをJARは大切にしています。難民にとって、来日直後だけでなく、審査の結果がでる平均3年間という長い道のりには多くの困難があります。支援に頼るだけでは生き抜くことはできませんし、そもそも、支援に頼るより自分の力で生きていくことを希望する人の方が大半です。ただし、単身で逃れてきた女性や未成年、トラウマを持った人、病気を抱えている人など、脆弱性が高い人については、スタッフがカウンセリングを通じて判断し、優先的に手配をします。限られたシェルターをよりニーズの高い人に提供するために、支援現場では適宜、状況を見ながら判断しています。

    関係者と連携-難民専用シェルターを通じたJELAとの連携

    公的支援が限られている中で、難民の「住」のセーフティネットを確保するには、JARだけではできません。シェルターの手配はさまざまな形があり、バックパッカーが泊まるような簡易宿泊所やインターネットカフェを利用したり、賃料を払いアパートの部屋を一定数借り上げたり、シェルターを持っている支援団体と連携したりしています。
    JARがシェルターを提供する上で重要な連携先の一つに日本福音ルーテル社団(JELA)があります。JELAは、難民申請者専用のシェルター2棟(15室)を自ら保持している唯一の団体です。JELA事務局長森川博己さんにシェルター運営について話を伺ったところ「シェルターがないのであれば、持てる人が持つ、政府がやるべきことだからやらない、というのはおかしい。出来る人が出来るところからやる」と事業への思いを述べてくれました。宿泊施設や普通のアパートの場合は、難民の置かれた苦しい状況までを理解してもらうことは難しいため、JELAシェルターはより脆弱性が高く、頼る先がない人にとっての貴重なセーフティネットとなっています。
    とはいえ、シェルターは本来、一時的な避難場所であり、保護費受給後は自分で新たにアパートを探し、生きていかなくてはなりません。昨年春にJELAシェルターに入居し、その後、就職が決まり転居しなければいけないアフリカ出身の男性がいました。しかし、本人は、仕事が安定するまでシェルターにいたいとすぐに転居には応じてくれませんでした。スタッフが「あなたがここに入居したときと同じ状況の人、家がなく、シェルターへの入居を待っている人が今も多くいる。あなたの不安もとてもよくわかるけれど、その人たちのためにも退去してもらえないか」と話したところ、「確かに自分も家がなく困っていた。最も困っていた時にシェルターを提供してくれたことに感謝している。自分と同じ境遇の人がいることも考えなければいけない」と不安を抱えながらも思い直してくれました。
    しかし、来日間もない難民にとって自力でのアパート探しは簡単ではなく、もし保護費が途中で切れてしまったら再びに路上生活に陥ってしまうのではなどの不安から、転居がスムーズに進まないことは少なくありません。森川さんは「必要な人に届けたいという思いはある。ただ、時にはそうはいかない。そういう人たち(金銭的には転居できるが精神的に難しい人)も含めJELAシェルターには居ていいと思う」とこの現実を受け止めています。
    「どこかで困っている人に出会った時は、私もその人を助けてあげるようにします。これがJELAへの恩返しです」というJELAシェルターに2年間滞在したクルド難民。森川さんも「次の人を助けるという連鎖を生み出したい。そういう人が生まれていくことが大切。一人ひとりが変わることで周囲の考え方や環境、すなわち社会が変わる。”Pay it forward(邦題:ペイフォワード)”という映画がありますが、ペイフォワード(恩送り)、いい言葉ですよね」と話します。

    欠如するセーフティネットの解決に向けて

    セーフティネットの穴を民間が埋めていくことは重要な取り組みである一方で、逃れてきた日本で住まいさえままならない難民の状況は深刻な問題です。2013年、難民申請者の増加などを背景に、JARに助けを求めてくる難民が着実に増えています。ここ数年、JARが年間に提供するシェルター数も増えており、2013年度と2014年度は46人、そして昨年は過去最多の71人に上りました。引き続き、JARは他のNGOと協働し、政府と交渉しながら、難民のセーフティネットの確保に向けた政策提言を行っていきます。
    家や仕事、大切な人など多くを失い逃れてきた難民にとって、日本での生活はそれらを取り戻し、新たに築き上げることから始まります。安心して眠れる住まいを確保することは、生活の基盤を立ち上げるためには不可欠です。それは、難民として認められる前の難民申請者だとしても、人として必要な最低限の権利であり、日本が提供しなくてはならないものでしょう。JARは今後も関係者と連携し、シェルター事業を通じて、難民の自立、そして同時に支援の連鎖が生まれるよう取り組んでいきます。