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難民支援協会と、日本の難民の10年

2009年は、難民支援協会(JAR)にとって設立10周年という節目の年でした。2010年、新たな10年を前に、これまでの活動の歩みをまとめた記事「難民支援協会と、日本の難民の10年間」の連載を開始します。

設立当時の1999年から10年間の難民申請数は5,594人を数え、それまでの10年間(89年〜98年)の889人の6倍以上にのぼっています。また、あまり話題に取り上げられることのなかった日本の難民の状況も、数々の事件・出来事を通じて、多くの人が知るようになってきました。そして、私たち一人ひとりが、学校や仕事場、日常生活のなかで「難民」と呼ばれる人々と出会う可能性はどんどん高まっています。

この連載では、日本に逃れてきた難民の専門機関として立ち上がった難民支援協会がどのような役割を果たしてきたか、これまでの日本の難民受け入れがどうであったかをふりかえると同時に、これからの10年を、日本社会に暮らす私たち一人ひとりがどのように難民とともに歩んでいくのかについても、一緒に考えながらご覧いただければ幸いです。

最新記事

第7回 市民社会としてのチャレンジ(2) 支援の広がり 

日本における難民支援活動を広げていくためには、政府や国連など難民支援を"本業"とする組織だけでなく、民間の団体や一人ひとりの関わりが欠かせません。
難民支援、NPO活動の意義や参加の意義を考えます。

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第6回 市民社会としてのチャレンジ(1) 組織基盤の強化

難民支援協会(JAR)はNPO法人として設立し、多様な「民」の力を結集し、たくさんの方からの力をお借りして成長してきました。その変遷やJARのミッション、組織のデザイン、そして力を貸してくださった皆さんの思いをご紹介します。

第5回 難民「保護費切り」と緊急キャンペーン:市民が動かす社会

2009年4月より行った「難民支援緊急キャンペーン」は、民間の7団体で難民申請者の生活のセーフティネットを確保するための過去最大のキャンペーンとなりました。
市民社会の力が集まり、政府の方針が緩和するまで継続して支援を行うことができた一方で、抜本的な法制度の必要性を改めて感じる出来事となりました。

第4回後編 クルド難民強制送還事件:国、国連、市民はどう動いたのか

前編はこちらからご覧ください。

第4回前編 クルド難民強制送還事件:国、国連、市民はどう動いたのか

2005年1月、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が難民と認めたトルコ国籍のクルド人が、法務省入国管理局に収容され、翌日にトルコに強制送還される事件が起こりました。その一方、この事件は社会の大きな注目を浴び、送還に反対する6万もの署名が市民から集まりました。
強制送還にいたるまでの政府の対応と、国連やJAR、市民それぞれの難民へのかかわりを前・後編にわたって振り返ります。

第3回 瀋陽事件が動かした難民認定制度:初めての法改正とその実態

2002年5月におきた「瀋陽事件」。世論が後押しとなり、難民に関連する法制度が改正された初めてのできごとです。JARも政策提言活動を本格化させることとなりました。その意義と現在も残されている課題について振り返ります。

第2回 アフガン難民の収容と変わりはじめた司法

2001年10月をはじまりとしたアフガニスタン難民申請者の収容事件。この出来事の意義を、その経緯を追いながら、振り返ります。

第1回 難民支援協会設立秘話

1999年、日本での総合的な難民支援活動という未知なる道へ、難民支援協会は一歩を踏み出しました。設立までの道のり、そこに込められた思いをご紹介します。

参考資料

難民支援協会活動年表および国内外の動き

これまでの10年間の経緯と、国内外における難民を取り巻く状況の歴史をまとめています。