難民支援協会と、日本の難民の10年

第6回 市民社会としてのチャレンジ(1) 組織基盤の強化

机1つ、スタッフ1名でスタートした難民支援協会(JAR)。設立当初からこの10年で、スタッフ数は19人へ、予算規模は10倍、相談件数は43倍となりました。
JARの成長には、難民の厳しい現実に立ち向かう関係者の強い信念と決意、難民の声、活動を支える多くの市民の支援がありました。この10年間は、難民支援という日本社会の課題の解決に向けて、市民が直接的な役割を果たしていく市民社会の構築のためのチャレンジの軌跡でもありました。

「難民」を「支援」するということ

 「日本ではなく他の先進国にたどり着いていればよかったのではないか。」
これは、難民申請者自身だけでなく、スタッフや支援者の口には出せない思いかもしれません。目の前に、電話の向こうに、迫害から逃れてきた生身の人間がいます。毎日が、日本が、この地域が、事務所が「現場」です。自分たちで難民認定制度を変えていこう、難民を受け入れる社会にしていこう。この「社会を変革する」意識がJARのエンジンです。

 日本の難民問題に系統的・総合的に対応する組織がないことから設立されたJAR。難民支援の専門家集団として、個別の難民支援はもちろん、諸制度の改善・構築のための政策提言活動、市民の理解促進資金調達のための情報収集と発信も継続して行うためには、専門性の高いスタッフの雇用の維持、増加する難民の支援に耐えうるキャパシティ拡大のための組織基盤の強化が必須です。

 JARの設立趣意書に「難民を支援する活動は、息の長い活動になると思われる」とあるように、設立準備会の時点で、活動水準、予算規模、参加人員の拡大を視野に入れ、「特定非営利活動法人」としてスタートしました。
 「’ワンマン’のリーダーシップによるサクセスストーリーを破れないと持続的な活動につながらないということを立ち上げの時から意識してきました。JARは多くの賛同者によって設立された団体なので、理事やスタッフは組織を育てていくことにも注力できました。」と設立メンバーの一人であり現在は常任理事兼職員として活動する石井宏明は指摘します。

一つの失敗で折れない強い組織へ

 初代事務局長の筒井志保は、スタートして数年間を「難民からの相談がどんどん増えて、財源が追いつかず、スタッフにかかる負担が大きかった」とふり返ります。人材育成の余裕もなく、スタッフとは喧嘩に近い議論を何度もし、中には短期間で辞めてしまう人もいました。「自分の経験も浅かったし、あまりに多忙なスタッフの時間をとることの遠慮もあり、スタッフとの情報共有や意思疎通が十分ではなかったことは反省です」。

 しかし、JARは何もないところからのスタートではありませんでした。筒井を含めた設立関係者は、NPOの運営や専門家・他団体との関係づくりの経験があり、支援者とは「投げかければ繋がることができる」ことも知っていました。何よりも、皆が「やるべきことが見えていた」ために、活動や資金調達に向けた方針がぶれることはなかったのです。

 国内難民支援事業を1984年から始め、シェルターを運営し、JAR設立当初から連携している日本福音ルーテル社団(JELA)の森川博己さんは、「初めから、こうして大きくなる団体だと思っていましたし、これからもっと大きくなるべき団体だと思います。」と語ります。

 何が何でも難民の支援を続けること、難民を受け入れる社会にしていくこと、そのために一つの失敗で折れない組織にしていく。そのための努力は今も続いています。

コラム:JELA・森川博己さんのお話

ブランディングへ

 財政も含めた組織の基盤を固めて難民への支援の提供を継続することがJARの責任であるとして、2007年にブランディング・マーケティングに取り組みました。また、寄付をする(お金を出す)こと自体が、スタッフが行う直接的な支援と同じように重要な「難民支援活動」であることを、分かりやすく伝えたいという思いもありました。それまで、UNHCRとの業務提携や、いくつかの公的資金も取り入れて資金調達をしてきましたが、日本に逃れている難民の現状とJARの活動をもっと多くの日本の市民に広報し、信頼できる団体として理解者・支援者を増やしていく工夫が必要でした。
 ロゴをリニューアルし、寄付制度として「難民スペシャルサポーター」を新設。それまで手作り感たっぷりだった広報資料を作り直し、多様なイベントを実施しました。

 このブランディングの取り組みには、企業からの協力をいただきました。ゴールドマン・サックス証券株式会社からは資金を、株式会社ファロンからはデザインなど技術面での支援を得て実施。企業の担当者にJARの現場を直接見ていただくことは、熱い思いだけで走りがちなで活動に対して客観的な評価をいただくことができます。
 ゴールドマン・サックス証券株式会社の担当者、平尾佳淑さんは、「ビジネスと同様に非営利の活動においても、安定的な資金が増えて団体の基盤を確実なものにしていくこと」の重要性に触れ、「次のステップへの成長を後押ししたい」と語りました。また、株式会社ファロンの伊丹麻衣子さんは、「日本において日本に来ている難民を支援し、その先駆者として『難民を受け入れられる社会があるべき姿』であると強く意識していることがJARの特徴である」とし、ブランディングを手がけたと話します。

リンク:ゴールドマン・サックス証券株式会社と株式会社ファロンとの対談


 このブランディングにあたっては、支援者ターゲットの分析や、寄付の方法の多様化(オンライン、クレジット決済)、WEB改訂を行い、積極的PR活動のための広報戦略も策定しました。

 初代代表理事の鴨澤の遺志を継いだ現代表理事の中村義幸は、入国時の支援だけにとどまらず、「生きる元気をもう一度かきたてられる環境としてのコミュニティづくりも重要」とし、難民保護の総合的支援システムの構築を訴えます。多様なバックグラウンドを持つ理事の採用、スタッフの増員、よりスペースの大きな事務所への移転、意思決定の迅速化のための運営体制の組織化にも取り組みました。そして、あらゆる資金調達の方法を検討し、まだまだ不十分なスタッフの待遇改善を目指しています。

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JARのスタッフ、インターン、ボランティア一致団結して支援に取り組んでいます

2010年7月30日掲載