活動レポート

この冬の緊急支援にご協力ください-ウィリアムさんの話

鶴木 由美子

定住支援部チームリーダー

難民支援協会(JAR)で就労支援やコミュニティ支援を担当している、鶴木由美子と申します。

支援しているウィリアムさん(仮名)をご紹介させてください。

彼が初めてJARの事務所を訪れたのは今から3年前。母国では教師をしていましたが、政権批判をしたことを理由に命を狙われるようになり、一番早くビザが降りたという理由で、知り合いが一人もいない日本へ逃れてきました。頼る先もないウィリアムさんは、道行く人に声をかけてJARのことを聞き、事務所にたどり着きました。

william.jpg

日本に逃れてきた難民が、日本で滞在を続けられるためには、難民申請をし、日本政府に難民として認めてもらう必要があります。やっとの思いで難民申請を行っても、難民申請の結果がでるまでには平均3年かかり、3年待っても難民として認定される人は非常に少ない現実があります。難民申請中は政府からの支援金を受け取ることができる場合もありますが、支援金を得る審査に数か月かかることも多く、受け取ることができずに困窮する人も多くいます。

ウィリアムさんは、JARに相談をしながら難民申請を行い、政府からの支援金をもらうまではJARからの食料や宿泊場所の提供を頼りに日々を過ごしました。

その後、ウィリアムさんは難民申請の結果が出るまでの期間、就労が許可されたため、JARが提供する「就労準備日本語プログラム」を受け、就職に必要な日本語やマナーを必死に勉強。その勤勉さを評価され、ある町の部品製造工場で働き始めることができました。日本語が流暢ではないウィリアムさんは、仕事でもそれ以外でも困難を感じることは日常的にあると言いますが、職場の仲間の温かいサポートで一つ一つ仕事を覚え、時には生活上の悩みも相談し、助けてもらってきました。「日本に新しい家族ができたようだ」と嬉しそうに話してくれたウィリアムさんの顔が忘れられません。

ところが、やっとウィリアムさんが日本での生活に希望を見出し始めた、そんな矢先に、日本でも新型コロナウイルスの感染が広がりました。

何とか会社を存続させたいと社長も奮闘を続けてきたそうですが、夏を過ぎたころから経営がさらに悪化。ついに会社は事業を一時止めざるを得なくなり、ウィリアムさんは自宅待機が続いています。そして先日、「このままでは収入が途絶え生活が立ち行かなくなってしまう」と、久しぶりにJAR事務所に相談に訪れました。

unnamed.jpg

世界的に感染が拡大している新型コロナウイルスは、日本で暮らす難民の方の生活にも影響を与えています。もともと紛争や迫害から逃れてきた難民の方々は、日本で生活ができなくなったからといって、母国に帰るという選択肢はありません。ウィリアムさんのように一見、経済的に自立できたかのように思えた難民の方々が再び不安定な状況におかれており、JARでは、現在職のない方も加えると、120名を超える方から生計を維持するための就職・転職について相談を受けています。この就職難で新しい仕事を見つけることは非常に厳しく、就労支援はこれまで以上に難航しています。

昨年までは、日本語がたとえ不自由であっても、難民の方々がもつ経験やスキルが高く評価され雇用につながるケースもありました。しかし、いまコロナ禍で国内で多くの人が不安定な雇用状況にあるため、難民にとって就職はより困難な状況があります。JARでは生活が困窮している難民の方々への食料提供などの生活支援も行っていますが、今年の冬は、一度就職をした方からも食べるものがないという相談があり、「これほどまで困窮が広がる状況になるとは…」という思いです。

このような状況の中でも前へ進むために、コロナ禍でも難民雇用の継続に力を入れてくださる多くの企業との雇用拡大に向けた協働、そして求人ニーズのある業界とは、新たな試みを通じ各企業と連携しながら就労支援を粘り強く行っています。また、就職が困難になっているからあきらめるのではなく、1日でも早く難民の方々が就職できるよう、日々の就労前訓練を継続して提供し、学んだ日本語を忘れないよう、また社会から孤立化しないよう、オンラインを含めた伴走支援が重要だと考えています。同時に、食料の提供や、特に脆弱性の高い方には宿泊の支援も行いながら、難民の方々の今日、明日をできる限り支えていきます。

日に日に寒さが厳しくなってきています。難民の方々がこの冬を何とか乗り越えることができるように、お力を貸していただけないでしょうか。託していただたご寄付は、今ここ日本で助けを必要としている難民の方々への支援に活かします。

※写真はイメージです。個人が特定されないよう、一部の情報を変えて掲載しています。