難民を
助けるため

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この冬、日本にたどり着いた
難民の方々が
生き延びるため
「命綱」を届けてください!

紛争や迫害などで、母国を追われた難民たち。
世界各地で難民となった人は、1年間で6850万人※と過去最多になりました。※出典:UNHCR Global Trends 2017

三人の子供を抱える母親の写真

川を渡るロヒンギャ難民の母子

小舟から引き上げられる子供の写真

危険な船旅で逃げる難民も

この日本にも、アジアや中東、アフリカなどの国々から難民が逃れてきていること。
助けを求めても追い返されそうになっている方々もいること、あなたはご存知でしたか?

CASE

後ろ姿の女性

写真はイメージです

ニーナさん(仮名・30歳女性)もその一人。
カメルーンから日本に一人で逃れてきました。

カメルーンで少数派は長らく虐げられてきました。
昨年の夏、しびれを切らした教師や弁護士たちが処遇の改善を求めてデモ行進を開始。
ニーナさんも積極的に参加しました。

しかし、警察・軍は武力で徹底的に弾圧。多くの仲間が殺され、逮捕されました。
その後も、平和的なデモに参加をした人々は警察から襲われたり、
地域ごと焼かれるなど内戦状態に陥っています。

「これは大虐殺だ」
血まみれのカメルーンで闘争が激化し村が燃える
(ガーディアン紙)
'This is a genocide': villages burn as war rages in blood-soaked Cameroon

カメルーン英語圏の独立紛争、残虐さを増す(ロイター)
Anglophone Cameroon's separatist conflict gets bloodier

ニーナさんの身にも危険が迫り、観光ビザが最初に下りた日本行きを決心しました。
日本に誰も知り合いはおらず、言葉も分からないー。

でも、身を守るために他の選択肢はありませんでした。

日本の難民認定数は、
先進国で最低レベル

日本にたどり着き、危険から逃れることができたニーナさんですが、日本でも苦難が続きます。

観光ビザで許可されている滞在は15日間。これを過ぎると「不法滞在」となってしまい、強制送還の対象となってしまいます。

迫害の待つカメルーンには帰れないため、「難民」として日本で滞在を続けさせてほしいと申請し、日本政府に認めてもらう必要があります。

日本で難民の申請をしたのは、2017年で19,628人。
一方、同年に政府が「難民」と認定し、在留を許可したのはわずか20人でした。

難民認定数の各国比較<2017>

ドイツ=認定数 147,671 / 認定率 25.7%、米国=認定数 26,764 / 認定率 40.8%、・・・、日本=認定数 20 / 認定率 0.2%ドイツ=認定数 147,671 / 認定率 25.7%、米国=認定数 26,764 / 認定率 40.8%、・・・、日本=認定数 20 / 認定率 0.2%

UNHCR Global Trends 2017 単位:人

難民や移民を排斥する動きも報道される米国やヨーロッパの国々と比べても、受け入れ数は最低レベルです。

その理由は、日本の難民認定の条件が、他の先進国と比べて非常に厳しいこと。

母国に帰れば身に危険が及ぶことを、
客観的証拠に基づいて
証明しなければならない

証拠は、すべて日本語に翻訳して
提出しなければならない

自力で難民認定を得ることは、ほとんど不可能な制度になっているのです。

数百ページの資料の写真

難民認定された1人分の提出書類

紛争や迫害から逃れた、あるいは自由や人権を守るため体を張った方々。
もし母国に強制送還されると、収監や拷問、そして命の危険にさらされる恐れがあります。

平和な国、日本に着けば 助けてもらえる

やっとの思いで、遠く海を超えてたどり着いた難民を、私たちは保護できていないのです。

母国に残した家族を想い、
強制送還に怯える日々

東京都千代田区、私たち難民支援協会の事務所には、難民の方々が1日約20人相談に訪れています。

  • 日本に知り合いはおらず、
    頼れる先がない・・
  • 母国から持ってきたお金も
    底を尽いてしまった・・
  • 働くことは認められていない・・

そんな苦しさのなか、路上生活を余儀なくされる方も、少なくありません

ニーナさんが初めて難民支援協会にたどり着いたとき、すでに所持金は残りわずか。前夜は公園で夜を明かしたといいます。誰も知り合いはいない、言葉も分からない、でも帰れないのだと、国で起きたことを泣きながら少しずつ話してくださいました。

「いまJARのシェルターは満室なので、事務所近くのホステルを手配しますね」

と伝えようとすると、言い終わらないうちに喉をつまらせて泣き始めました。外で寝ることになる不安が噴き出したようです。女性の野宿は危険性が高く、外で耐えてもらうことはしていないと何度もお伝えし、ようやく落ち着きを取り戻しました。

なぜ、言葉も通じない日本を選ぶの?
逃げる先を探すなかで、最初に日本のビザが下りたからという理由が多いです。言葉の面などで不安があっても、他の国のビザを待つ余裕がなく、日本行きを決心します。
難民を受け入れるとテロなど
治安が悪くなるのでは?
通常、難民にも入国審査があり、治安上の懸念がある人かどうか確認されます。もちろんリスクはゼロではないですが、外国人観光客と同様と私たちは捉えています。
「偽装難民」も多いと聞きましたが?
日本で働くことを目的に難民申請をする人がなかにはいるようです。一方、紛争や迫害から庇護を求めている難民が少なからずいることも事実で、その数は20名(年間の日本の難民認定数)に留まりません。
泊まる場所がない食べ物がない

途方に暮れ、疲れた表情の難民たち。

母国に残してきた妻や子どもは、元気だろうか

家族を思い、強制送還の危険に怯えながら、孤独と先の見えない不安に苛まれています。

この冬、日本にたどり着いた
難民の方々が
生き延びるため
「命綱」を届けてください!

私たち難民支援協会は、そんな日本の難民が安心して暮らせるようにサポートする、認定NPO法人です。

医・食・住の生活支援

日本に来たばかりで頼る先がない難民に、個別で相談に応じています。たとえば、その日泊まる場所がない方には、シェルターを提供。国民健康保険に入れないなか適切な医療を受けられるようサポートします。

難民認定を法的に支援

申請手続きは、非常に複雑で難しいものであるばかりでなく、多くの資料の提出が必要です。弁護士と協働しながら、手続きのアドバイスや証拠資料の収集・作成をサポートしています。

経済的な自立をサポート

自立した生活を行うためには、働いて収入を得ることが必要です。就労を希望する難民に対して、日本での仕事探しの方法を伝えるとともに、それぞれの難民に適した企業との橋渡しを行い、雇用を実現しています。

先ほどのニーナさんには、まず5泊分の宿泊を支援。
その後、JARのシェルターが空き、公的支援が決まるまでの間、入居してもらいました。

暗い表情ばかりでしたが、それからは見違えるように前向きに。
笑顔でいることが多くなり、何に対しても、
まずは自力でチャレンジしようとするようになりました。

日本語学習にも積極的に取り組み、いまは自立に向けて就職活動に勤しんでいます。
初めて事務所にきた日。むせぶように泣いていた姿からはまるで別人です。

「今夜はどこで寝られるのだろうか」という不安はそれだけ大きいもの。
安心して寝られる場所があって初めて、
難民申請の手続きや仕事探しについて考えられるようになります。

来日直後の緊急支援はとても大事です。

難民を受け入れられる社会へ

彼女のような方々が危険な地に送り返されることなく、医食住等が保障されるように。
そして新たな土地で安心して暮らせるように、
手続きや就労などさまざまな側面からサポートしています。

一人ひとりの自立までの道のりに寄り添い、
「難民を受け入れられる社会」の実現
に、チャレンジしています。

日本に逃れてきた難民を
ご寄付で応援ください!

私たち難民支援協会は、1999年に日本で設立。
日本を訪れた難民支援を専門に、累計6,000人以上・107ヶ国の方々をサポートしてきました。

団体概要

団体名 認定NPO法人 難民支援協会
設立 1999年7月
役員 代表理事 石川えり
副代表理事 中村義幸、藤本俊明
理事 吉山昌、関聡介、大江修子ほか
所在地 東京都千代田区西神田2-5-2 TASビル4階
約20名の集合写真

スタッフの集合写真

提供した支援の例

57人57人

ホームレスに陥った難民に対し
てシェルター(宿泊場所)を提供しました。

83人200件83人200件

病院との交渉や診療費の支援を通じて、
医療につなげました。

※2017年度実績

支援を受けた方の声

難民支援協会がなければ、
私は今日まで
生き延びられなかった

東アフリカ出身・男性

宿泊場所がなく公園のベンチで過ごし、体の痛みに悩まされていたときに、助けてくれたことに感謝したいです。難民支援協会は私にとって階段のステップのような存在。方向性を示してくれ、一段上がるときにいつも力になってくれます。難民支援協会の支援者には心からお礼を伝えたいです。私たちの姿は見えないかもしれないけれど、皆さんが送ってくださる支援は、本当に必要としている人に届いていて、多くの人の厳しい生活を変えています

一方、私たちの支援が行き届かずに苦しんでいる難民の方々が、まだまだたくさんいます。

強制送還されて、迫害の日々に戻りたくない 離れ離れになった家族と、早く再会したい 滞在が認められたら日本社会に貢献して生きていきたい強制送還されて、迫害の日々に戻りたくない 離れ離れになった家族と、早く再会したい 滞在が認められたら日本社会に貢献して生きていきたい

そんな方々が、日本で安心を取り戻せるように、力を貸していただけませんか?

5,000円あれば

難民申請手続きや公的支援の申請に必要な交通費を支払えます

10,000円あれば

3日間の温かい宿泊を届けられます

30,000円あれば

公的支援につながる前の生活支援金を2人に届けられます

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国内の難民支援専門、
約20年の実績が認められています

日本の難民支援という注目されにくい分野でしたが、約20年間の地道な活動に、たくさんの方から応援をいただいてきました。

NHKでの報道や国連機関からの認定も

受賞歴

国際交流基金での受賞光景

「エクセレントNPO大賞」「国際交流基金地球市民賞」など多数

マスメディア

NHKでのインタビュー画像

NHKや日経、毎日、朝日新聞などマスメディアでも報道

日本の難民支援の第一人者として、
認められてきました。

  • 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のパートナー団体として活動
  • スイス・ジュネーブで行われる国連の会議に、日本の難民支援を担うNGO代表として毎年参加
  • 参議院総務委員会に参考人として出席し、難民に関わる法改正について意見を述べる

助かった命のために、
できるだけのことをしたい

柴田 潔さん

難民支援のきっかけは3歳のシリアの男の子 アイラン君が海岸に打ち上げられたことです。現地のシリア難民への直接支援は難しい。難民支援協会さんを通じて、来日した方の厳しい現状を知りました。せっかく助かった命のためにできるだけのことをしたい、と教会・幼稚園に 呼びかけています。園児さんはこう祈りました。「こまっているおともだちが あぶないくにからあぶなくないくににもどれますように」。 その日が実現しますように。

自由な選択肢・価値観を
分かち合える社会にしたい

田口 訓子さん

養子縁組を考えたとき、難民の子どもとの縁組について調べたことがきっかけで、日本が難民受け入れにとてもネガティブであることを知りました。
養子という血の繋がりが無い関係へのネガティブなイメージの根深さとも通ずるような気がします。難民と共生することを通じて、もっと自由な選択肢・価値観を分かち合える社会になって欲しいと願い、マンスリーサポーターと物資の寄贈を続けています。

認定NPO法人として公正な法人運営

認定特定非営利活動法人として認定した旨の通知書

東京都により
認定NPO法人に認定

独立監査人の監査報告書

財務情報も公開

税制優遇は受けられますか?
難民支援協会は「認定NPO法人」のため、ご寄付は「寄付金控除(税額控除)」の対象となり、確定申告によって寄付金額の最大50%が税金から控除されます。
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日本で暮らす
「私たちにしかできない支援」を

難民支援協会に助けを求めて訪れる難民は、年間700人以上。
まだ私たちの力は、十分ではありません。

  • 日本を頼って逃れて来た難民を助けたい
  • 政治や宗教による差別や迫害は、あってはならない
  • 多様性のある社会をつくりたい
  • 異国の地で頼るもののない人たちに、優しくしたい
  • 危機に瀕した人たちに、寛容な社会でありたい

もしあなたがそう思うなら、
今すぐご支援いただけませんか?

民間からできる支援を、
あなたも一緒に

認定NPO法人 難民支援協会
代表理事 石川 えり

高校3年生の頃にテレビで見た、ルワンダ内戦。民族の違いで隣人同士が殺し合い、そして逃げまどう人々が訪れた難民キャンプ。「私にできることは?」と国際協力の道を志しました。あれから20年以上、今も世界各地で平和や安全が踏みにじられ、逃れた人々は日本に助けを求めています。扉を固く閉ざす政府の方針を批判するだけでなく、日本にいる私たちだからできる支援に、地道に取り組んでいきたい。「難民を受け入れる社会」を、民間から一緒につくっていきましょう。

認定NPO法人 難民支援協会
代表理事 石川 えり

紛争や迫害で国を追われ、日本にたどり着いた方々のために。
あなたが力を貸してくださること、心から願っております。

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追伸

シリア難民のジュディさんは、
2年半越しで家族と再会できました!

シリアから日本に逃れてきた、ジュディさん。
約2年半越しで、妻と二人の子どもに再会できました。

「子どもたちのことを考えると夜も眠れない」
日々苦しそうに話していたジュディさん。

“母国で反政府デモに参加したことがきっかけで
命の危険を感じ、2012年夏に故郷を後にしました。
私が母国を離れたあと、情勢がさらに悪化し、
妻と子どもたちは隣国イラクに避難。
国境沿いの難民キャンプに身を寄せていました。”

ジュディさんが逃れる時、妻のお腹の中には息子さんがいました。
成田空港で初めて、親子の対面が実現しました!

電話越しでしか、話せなかったお父さん。
「もう離さない!」とばかりに、
笑顔でしがみつく息子さんの姿が印象的でした。

まるで夢のようです

長期に渡る難民キャンプでの厳しい生活と、
長旅に疲れた様子のジュディさんの妻は涙を浮かべていました。
日本の皆さまのご支援に、心から感謝申し上げます。

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毎月1,500円〜継続的にご支援いただく
寄付方法もございます。