2019.11.28

小さな教会の日本語教室。「支援のバトン」をつなぐ人々

2019.11.28
高橋典史

ベトナム人が集う小さな教会

浜松市、特に北区の周辺では、1970年代からのインドシナ難民受け入れ事業以来、多くのベトナム人たちが暮らしてきた。その後日本を離れた者もいる一方、市内に定住し、ベトナムから家族を呼び寄せた人々も多くいる。

あたりには畑が広がり、浜松駅前など市の中心部とは違った郊外らしいのんびりとした雰囲気が流れている。幹線道路沿いにはベトナム料理のレストランやベトナムの食材店が点在し、すでに40年前後にも及ぶコミュニティの歴史を実感することができる。

そんな北区にある可愛らしい小さな教会、それがカトリック三方原教会だ。中に入ってみると、その信者の多くがベトナム人であることに驚く。最近ではベトナムだけでなく、ペルーやブラジルなど、カトリック教徒の外国人信徒が増えているそうだ。日本の方ももちろんいるが、どちらかと言うと高齢の方が多い印象である。

同じ「ベトナム人」といっても、この地域に古くからいる難民やその呼び寄せ家族にルーツをもつ人々に加えて、近年ではベトナムからの留学生や技能実習生、エンジニアとして日本企業で働く者など、いわゆる「ニューカマー」の人々も増えている。それぞれのベトナム人の間には、来日した時期だけでなく、出身の地域、言葉のアクセントなどにも色々な違いがある。

聖堂が日本語教室に早変わり

そんな多様な人々が集う三方原教会で、毎週日曜日のミサ(礼拝集会)のあとに行われているのが「静岡県ベトナム人教会」によるベトナム人向けの日本語教室。教会を会場としながらも参加者の宗教は問うておらず、現に仏教徒のベトナム人も参加している。

文化庁の委託事業という形式をとっており、地域の日本人だけでなく、日本で長く暮らしているベトナム人やその子どもたちも「教える側」として参加しているのも特徴の一つである。

現在、この日本語教室のコーディネーターを務めているのが西崎稔さんだ。ある日の教室では、西崎さんが3つのクラスのうちの一つを担当しており、額に汗をにじませながら、熱心に、楽しそうにベトナムの若者たちに日本語の会話を教えていた。西崎さんの人柄が教室全体の朗らかな雰囲気を作り出しているようだ。

西崎さんは現在「静岡県ベトナム人協会」(以下ベトナム人教会)の中心的な役割を担っているが、この協会は前回の記事で取り上げられた難民ケースワーカーの古橋楓さんと、自身が難民として来日したトラン・バン・ミン(日本名:山田明)さんとが二人三脚で1980年代に創設した団体である。

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ベトナム人協会は、これまで三方原教会を中心に静岡県西部(浜松とその周辺地域)に暮らすベトナム人たちが交流し、互いに助け合う場を提供するなど、活動の礎を築いてきた。古橋さんとミンさんはいわばベトナム人協会の「第一世代」である。そして今、西崎さんは「第二世代」としてこのコミュニティと活動を大切に引き継ごうとしているのだ。

浜松への移住、ベトナム人協会との出会い

実は西崎さんは浜松生まれでもなければカトリックの信者でもない。1963年山口県岩国市生まれ。地元の大学の理学部で物理学を学び、卒業後は楽器メーカーに就職。たまたま赴任先となったのが浜松だった。1988年のことである。以来ずっと浜松に在住している。

西崎さんはその後1992年に同郷出身の女性と結婚、1女2男の子どもたちにも恵まれた。職場ではおもにエンジニアとして、シンセサイザーや電子ピアノなどのコンポーザーの開発に長らく関わってきたが、現在は製品の検査関連の仕事を担当している。

経歴だけを見れば、ごく一般的な「日本の会社員」。ベトナム人協会に関わる以前は、ボーイスカウトや町内会などの活動に多少参加していたものの、仕事も忙しく、頻繁に地域との関わりを持っていたわけではなかった。また、浜松に多く暮らしていたベトナム人たちとの接点も全くなかった。そんな彼が協会に関わるようになったきっかけは、ミンさんとの出会いだったという。

2000年頃のこと、ミンさんは浜松国際交流協会(HICE)で開かれていたベトナム語講座の講師を務めていた。当時30代後半だった西崎さんは、昔から旅行が好きで外国の文化にも関心があったことから、この講座を受講してみることにしたのだ。

当時、ベトナム人協会では、日本語教室以外にもベトナム料理教室や中秋節の「お月見」など様々なイベントを開催していた。ベトナム語講座への参加を通じてますますベトナムの言語や文化への興味を持つようになった西崎さんは、しばしば家族みんなでこうしたイベントに参加し、次第にミンさんと古橋さんとも家族ぐるみの付き合いをするようになっていく。

その後、一時は勤め先の仕事が多忙になってベトナム人協会から足が遠のいた時期もあった。だが2010年ごろ、職場での立場が変わり、子育ても一段落してきたこともあって、西崎さんはミンさんからの「日本語教室の手伝いに参加してみないか」という誘いを受け、ベトナム人協会の活動にボランティアとして従事するようになる。

もともと西崎さんは教員志望で、「教える」ことが好きだった。「もしエンジニアになっていなかったら教師になっていたと思います」と語るように、実は大学時代に教員免許も取得している。ベトナム人協会と出会っておよそ10年、西崎さんはイベントの一参加者から、より主体的な関わりへとシフトすることになったのだ。

ボランティアの1人から協会の担い手へ

西崎さんがより深くベトナム人協会の業務に関わるようになったきっかけは「膨大な事務作業」の手伝いを通じてだった。なぜベトナム人協会の活動に膨大な事務作業が必要なのか。

外国で生まれ育った人々の多くにとって、母語ではない日本語での書類作成などには大変な困難が伴う。そのため、ベトナム人協会では早い時期から地域のベトナム人たちの様々な書類手続きをサポートしてきた。また、文化庁の委託事業などについての役所とのやり取りなど行政関連書類の作成業務の負担も大きい。しかも、こうした書類関連の仕事は高齢の古橋さんがほとんど1人で対応しているような状況だったのだ。

そこで、日本語教室のボランティアだった西崎さんに白羽の矢が立てられる。「ミンさんたちに頼まれたら、断れるわけがないじゃないですか!」と西崎さんは笑う。当時ミンさん夫婦は教会の一角に暮らしており、日本語教室のあとにしばしば一緒に夕食を食べた。西崎さんにとってミンさん夫婦は初めてできた外国出身の友人だった。

ミンさん夫婦が暮らしていたこともあって、当時の三方原教会にはたくさんのベトナム人がやってきた。時には夜遅い時間帯であるにも関わらず、ミンさんを慕って訪れた人々の相談に乗るミンさんの姿を、西崎さんはいつもすぐそばで見ていたのだ。

西崎さんはこうして古橋さんやミンさんとも問題意識を共有し、より本格的にベトナム人協会に関わっていくようになる。その後は文化庁のコーディネーター研修を受けたり、同じような事業の経験者に話を聞きに行ったりしながら、必要な知識を少しずつ身につけていったという。

私が西崎さんと知り合ったのはもう何年も前のことだが、ベトナム人協会に関わる彼はいつも水を得た魚のように生き生きとしているのが印象的だ。「ベトナム人協会でのボランティア活動は仕事ではなく、あくまで楽しい趣味としてやってきました。外国の言葉や文化については昔から興味があったので、楽しみながら協会に関わっています」。

無視できない体制面の課題

現在のベトナム人協会では大きく分けて3つの活動を行っているという。

一つめは「在日ベトナム人に対する相談や支援」。行政書士や古橋さん、ミンさんらによるさまざまな生活相談に加えて、在留資格更新、住宅申請、運転免許証、家族の呼び寄せなどの手続きや日本国籍の取得を支援している。

教会近くのベトナム食材店。市内の畑でベトナム人達が栽培した野菜も所狭しと並んでいる

二つめは「ベトナム人同士および日本人との交流事業」。サッカー大会などのスポーツ・イベントやベトナム料理教室などの開催、浜松国際交流協会による「HICEフェスタ」など地域のイベントでのベトナム舞踊の披露などである。とくにベトナムの旧正月である「テト」を祝う行事は、地域社会とも広く関わるイベントになっている。

そして、三つめは「ベトナム人への教育・学習活動」だ。先に触れた大人向けの日本語教室「生活者のための日本語講座」(毎週日曜日、文化庁委託事業)だけでなく、幼児や小学生など子ども向けの学習支援(毎週水曜夜、浜松市委託事業)も行っている。

さらに、最近急増している技能実習生や留学生などニューカマーのベトナム人たちの状況把握が新しい課題だ。日本語教室などを通じてつながりができている部分もあり、どのような支援へのニーズがあるのかこれから考えていきたいと西崎さんは話す。

その上で大きな課題は体制面にある。これほど広範囲に事業・活動を展開しているにも関わらず、ベトナム人協会の役員は古橋さんとミンさんのみ。委託事業などの契約関連はミンさんと西崎さんが担っている。ボランティアも日本人とベトナム人を合わせて10名にも満たない。だからこそ、今後の組織運営を担う人材の育成は急務である。

特に子どもたち向けの活動においては、ベトナム語と日本語のバイリンガルの第二世代以降の若者たちに対する期待が大きい。ミンさんの役割を引き継いでいく次世代のリーダーが必要という思いもある。

ただ、若い世代のベトナム人の多くは仕事や子育てで忙しく、三方原教会に通ってはいるものの、ベトナム人協会の活動には積極的に参加しない場合も少なくないという。その一方で、日本語教室のボランティアとして参加するバイリンガルの若者の姿も見えた。

「現役世代」にも参加してほしい

地域の日本語教室では日常生活で使う日本語や日本語能力試験対策の授業などが一般的だが、ベトナム人協会の日本語教室には近隣の日本企業で働くベトナム人も多い。そのため、ベトナム人協会では日本企業のビジネス現場で使える実践的な日本語のクラスも設けている。西崎さん自身が講師を務め、これまで日本企業の会社員として培ってきたビジネスシーンで求められる「生きた」コミュニケーションを伝えたいと考えている。

西崎さんはこう語る。「地域社会における日本語教室のあり方を『生活者のための日本語』に限定する必要はないでしょう。外国人の方々の幅広いニーズに応えてもっと多くの選択肢を用意したいと考えています」。そして、そのためにも「現役世代がもっと外国人支援のボランティアに関わってほしい」のだと。

私は浜松以外の外国人住民向けの日本語教室にもたびたび参加したことがあるのだが、確かにそうした教室の日本人ボランティアの方々には時間的な余裕のあるいわゆる「リタイア世代」が多い。若者中心の学習者たちとの間で年齢の差が大きい場合も多く、言葉や文化の違い以上に世代間のギャップでなかなかコミュニケーションがうまくいかないように見えるケースも何度か目にしてきた。

日本で学んだり、仕事をしたりしたいという若者たちは、日本語を学びたいというだけでなく、それ以外にもさまざまな知識を求めていることが少なくない。西崎さんが強調するように、日本語指導にあたる地域のボランティアに企業での生の経験を有する「現役世代」が参加することの意義は確かに大きそうだ。

地域の日本語教室は日本語を教えるという役割を担うだけでなく、外国人住民が抱える様々な課題を見出し、専門的な諸機関と連携していくという機能をも果たせる可能性がある。地域の多様な住民が「適材適所」で参加することが、一人ひとりが相談しやすい環境へとつながっていく。

私も三方原教会の聖堂で西崎さんが担当するビジネス日本語のクラスに参加させてもらった。その日の参加者3名は、いずれもベトナムで大学を卒業したのちにベトナム現地に進出する日系企業に就職し、その後「企業内転勤」で来日した若い男性たちだった。

研究畑しか知らない私は西崎さんの見様見真似でビジネス会話のやり取りに参加したが、ベトナム人の若者は3人ともとても活発に発言していた。ふだんの会社では上司や同僚になかなか聞きにくい疑問でも、この場では気兼ねなく質問できそうだ。ここにはきっとそんな魅力もあるのだろう。

支援のバトンタッチ

静岡県ベトナム人協会の活動を振り返ると、古橋さんとミンさんという「第一世代」の支援者たちは、自らの時間のほとんどを協会の活動へと費やし、献身的に地域のベトナム人たちをサポートしてきたといえる。昼夜を問わず、ベトナム人たちと付き合い、相談に応じてきた2人の尽力には深く敬服せざるを得ない。何もないところからコミュニティを立ち上げ、行政などとも折衝しながら活動を維持・拡大していくことは本当に大変なことだ。

市内にできたばかりのベトナム仏教寺院(精進寺)。西崎さんとの「アポなし」訪問にも関わらず精進料理をご馳走になり、法要にまで参加させていただいた

当然ながら、そうした支援の姿勢を地域で暮らす誰もが真似できるわけではない。むしろできる人の方が稀だろう。加えて、時代の流れとともに、地域のベトナム人住民の性格も変化し、人付き合いのありようも変わってきた。

そうした変化に対応しながら、「第二世代」の支援者として、西崎さんは今後も持続可能な新たな支援の形を作り出そうと模索を続けている。彼は「個人的な夢」として団体のNPO法人化を口にし、「定年の年齢になってもっと時間的な余裕ができたら」と、会社員としての「現役」後の関わり方も見据える。

これから日本全体で地域での外国人住民との共生の必要はいや増していく。その中で、行政や法律・教育・福祉・医療といった様々な領域の専門家たちの存在が必要であるのはもちろんのこと、西崎さんのような一般の地域住民が担う役割がますます重要になっていくのは間違いない。移民第二世代の若者も含め、それぞれの地域の中から、新しい一歩を踏み出し、同時に先人のバトンを引き継いでいく人々の登場が期待される。

日本人信者の荻野さん
ペルーから移住した夫婦

彼自身のスキルや関心、ミンさんや古橋さんとの出会いなど、西崎さんのケースを簡単に一般化することはできない。ただ、「現役世代の社会人」と「地域の外国人の支援者」という一人二役を担ってきた彼の経験から学べることはたくさんある。そんな西崎さんのモチベーションの源泉が垣間見えたエピソードを最後に一つだけ紹介したい。

日本語教室での取材のあと、西崎さんは「新しくできたバインミー(ベトナムのサンドイッチ)のお店へ一緒に行ってみないか」と熱心に誘ってくれた。実のところ頭の片隅では帰りの新幹線の時間が気になってはいたのだけれど、西崎さんの熱意に半ば折れて、訪問してみることにした。

そのお店は大きな郊外型スーパー内にあるテナントで、店内は清潔で温かな雰囲気に満ちていた。聞けば、かつて日本語教室の教え子だった若者が、ベトナムでバインミーの本場の調理法を学んだうえで起業したお店なのだという。種類豊富なバインミーはどれも絶品だったが、特に店で毎日焼いている自家製のパンが素晴らしかった。

ベトナムの若者に日本語を教えることについて、西崎さんはかつて私にこんな風に語ってくれたことがある。「異なる文化や言語など、相手からもたくさんのことを学ばせてもらえる点は大きな魅力です。ふつうの会社員の生活では、なかなか得られない経験でしょうね。」

西崎さんは教えることを通じて学び、その学びから自らも多くの喜びを得ているようだった。度重なる取材の現場を通じて、教え子たちの側もまたそんな西崎さんを慕っている様子が見てとれた。出来立ての立派なお店で微笑むなんとも嬉しそうな西崎さんの笑顔が、私の心に今も残っている。

注記:
本稿は、2013年頃から桃山学院大学の白波瀬達也と共同で実施している、静岡県ベトナム人協会およびカトリック三方原教会についての調査の成果の一部である。

参考文献
・西崎稔「静岡県西部における在日ベトナム人への支援活動と今後の課題」『Mネット』188号、2016年10月

CREDIT
高橋典史|取材・執筆
田川基成|取材・写真
望月優大|取材・編集

TEXT BY NORIHITO TAKAHASHI

高橋典史
社会学者/東洋大学社会学部教授

1979年東京都あきる野市生まれ。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程単位修得退学。博士(社会学)。ハワイの日系移民の歴史を皮切り、国内外の宗教と移民・難民との関わりについて研究を進めてきた。近年はとくに技能実習生、留学生、移住者の第二世代の若者たちと宗教をめぐる諸問題に関心を持っている。単著に『移民、宗教、故国』(2014年、ハーベスト社)、共編著に『宗教と社会のフロンティア』(2012年、勁草書房)、『ホッピー文化論』(2016年、ハーベスト社)、『現代日本の宗教と多文化共生』(2018年、明石書店)。