2018.11.29

イスラム移民の暮らしに溶け込む。「ジャシム一家」と過ごした5年間

35歳以下の若手写真家に贈られる「三木淳賞」。第20回の今年は、ニッポン複雑紀行の写真をいつも撮ってくださっている田川基成さんが『ジャシム一家』という作品で受賞しました。『ジャシム一家』は、田川さんが2012年から千葉のバングラデシュ人家族に密着して撮り続けているドキュメンタリー写真のシリーズです。

今回のニッポン複雑紀行は特別篇。無名の、市井の、6人の移民家族と共に過ごした5年間を、田川さん自身に5年分の写真と共に振り返っていただきました。お父さんの代わりに長男の入学式に行くまでジャシム一家の生活に溶け込んだ田川さん。彼がファインダー越しに見つめ続けた移民家族の日常をぜひご覧ください。これからの日本を静かに映し出すリアリティのかけらがそこにあります(編集部)。

バングラデシュから千葉へ

こんにちは。写真家の田川基成と申します。ニッポン複雑紀行で、よく撮影を担当させて頂いています。

今回は、僕がライフワークで撮影してきた「ジャシム一家」の話をしようと思います。ジャシム一家は、一言で表せないほど重層的なアイデンティティを持った家族です。

イスラム教徒であり、バングラデシュ人であり、移民であり、六人の家族であり、千葉郊外の住人でもある。僕はこの家族と知り合ってから、5年以上に渡って彼らの日常的な生活を写真に撮ってきました。

上の写真は出会ったばかりの頃、2012年に撮った写真です。ジャシム一家は千葉県船橋市の郊外にある古い団地の2LDKの部屋で暮らしています。家族構成はお父さん、お母さん、二人のお姉ちゃんに一人の弟。その後、三女も生まれて今では6人家族になっています。

お父さんのシクダール・ジャシムさんは、1991年にバングラデシュから来日。東京の建設、解体現場で働いてきました。独身の出稼ぎ時代が10年ほど続いたのですが、2001年に一時帰国して、親戚の紹介でバングラ人女性のディパさんと結婚しました。

ジャシムさんはすぐに日本の仕事に戻りました。バングラデシュでは二人の娘が生まれたのですが、家族は国に残し、年に一回数ヶ月だけ帰国する生活になりました。そして、2006年に永住権が取れるとジャシムさんは家族みんなを日本に呼び寄せます。

家族の来日にともない家賃の高い東京を離れ、千葉県の郊外にある団地に引っ越しました。それ以来、ジャシムさんは建設作業のほかに中古車の輸出ビジネスも副業ではじめ、日本で家族を養ってきました。

天国みたいに幸せな国

ジャシムさんはインドの東に位置するバングラデシュの出身。首都ダッカの近郊にあるナラヤンガンジという町で4人兄弟の末っ子として育ちました。家はすごく貧しいわけでも特別に裕福でもない、いわゆる中流家庭の出身です。

ナラヤンガンジの家族とジャシムさん(左端)

ナラヤンガンジは海外への移民が多い町。親戚や知人の中にもイギリスやアメリカ、中東へ出稼ぎに行く人が多くいました。ジャシムさんが地元のカレッジを卒業し、20歳を過ぎた1990年前後には、日本へ向かう若者も増えていました。

当時の日本はバングラデシュ、パキスタン、イランとビザ免除協定を結んでいて渡航が難しくありませんでした。日本はとても綺麗な先進国で給料がものすごく稼げるらしい。そんな噂を聞きつけ、若き日の彼は興味と冒険心から日本へと旅立ったのです。

来日当時のジャシムさん

ジャシムさんは仕事を通じて生活するには不自由のないレベルの日本語を数年で覚えたといいます。バングラデシュから来た仲間と安いアパートをシェアして生活費を抑え、母国に仕送りもしていました。

「仕事はきつかったけどね、日本は楽しいこともいっぱいあるし。友達もたくさんいたからバングラに帰ろうと思わなかったね」

モスクで礼拝を終えた後に、仲間たちと談笑するジャシムさん(左端)

出会いは「ボイシャキ・メラ」

僕は海外を2年ほど旅していた学生時代に、イランやパキスタン、バングラデシュなどのイスラム圏にそれぞれひと月ほど滞在した経験がありました。イスラムという文化は日本とまったく違い、自分にとってヨーロッパなどの西洋より遠く、一番「異国」を感じた国々でした。そして、どの町でも人が優しかった。

これからどんな風に取材を進めようか、悩んでいた時に訪れたのが「ボイシャキ・メラ」でした。東京の池袋西口公園で毎年4月の第3日曜日に開かれる、バングラ人の、バングラ人による、バングラ人のためのお祭りです。

ボイシャキ・メラに集うバングラデシュ人の若者たち

2012年4月22日のボイシャキ・メラは、数千人のバングラ人が会場の公園を埋め尽くし、熱気に包まれていました。民族衣装で着飾ったバングラ人家族の中でも、特別に色鮮やかで輝いていたのがジャシム一家でした。

僕はジャシムさんに話しかけ、その日は家族の写真を撮らせてもらって、連絡先を交換して帰りました。後日、写真をプリントして送ると、ジャシムさんからお礼の電話がかかってきました。そして、次の日曜日に一家が住む団地の部屋まで遊びに行くことになったのです。

今日は泊まっていけば?

イスラムの家庭ではふつう、男性客を家の奥まで案内しません。ジャシム一家も例外ではなく、はじめは玄関脇の仕事場兼応接室に通されました。その日はジャシムさんの仕事や家族のこと、来日してからこれまでのことなど、ディパさんが作ったちょっと辛いカレーを頂きながら、いろんな話を聞きました。

それから何度も、東京都内の自宅から約2時間かけて、ジャシム一家が暮らす千葉まで通い続けました。一緒に近所のモスクに行って礼拝したり、日曜日にはジャシムさんの運転する車でピクニックに出かけたりもしました。みんなで電車に乗って東京タワーの近くまで遊びに行ったこともあります。

家族との距離もそのうち少しずつ縮まって、「田川さん、家遠いから今日は泊まっていけば?」と言ってもらえるようにもなりました。

左から、ジャシムさん、アリフ君、ジャンナットちゃん、ジェーリンちゃん、ディパさん

僕が出会った当時は小学5年生だった長女のジェーリンちゃんと、6歳だったジャンナットちゃん。二人はバングラデシュで生まれ、後にお母さんと一緒に日本へ移ってきました。はじめの頃は恥ずかしがり屋で、日本語の会話もあまりできませんでした。

しかし、団地のすぐ側の公立学校に通う彼女たちの日本語は、会う度にみるみる上達していきました。今では、二人はほぼネイティブのように日本語を話します。両親のために、学校や役所でもらった書類の読み書きをしてあげたりもしています。

ジャンナットちゃん(左)とジェーリンちゃん(右)
アリフ君(左)と、ジャンナットちゃん(右)

アリフ君の入学式

長男のアリフ君は、日本生まれ日本育ち。両親が生まれ育ったバングラデシュにはまだ行ったことがありません。知り合った頃は、おしゃぶりをくわえてベビーカーに乗っている小さな子どもでしたが、2016年にはお姉ちゃんたちが通う小学校に入学するまでに成長しました。

入学前の3月に遊びに行った際、ジャシムさんは僕にこんなことを頼みました。「来週のアリフの入学式、仕事で行けないから田川さん代わりに行って写真撮ってきて」。

ジャシムさんは日給制の仕事をしていて休日は日曜と祝日だけ。それ以外で仕事を休むとその分給料が減ってしまうので、平日に学校へ行くのはなかなか難しいのです。入学式の当日、僕はスーツを着てお母さんやお姉ちゃんたちと一緒にアリフ君の入学式に向かいました。

アリフ君は保育園や幼稚園に通っていませんでした。日本生まれだけれど、日本人の子どもたちと接したことはほとんどありません。日本語もまだ喋れない。僕の顔を見るといつも「田川さん、遊ぼう〜!」と元気に駆け寄ってくるアリフ君ですが、この日はさすがに身体が強張っているようでした。

入学式では、母親のディパさんが涙を流してアリフ君を見守っていました。言葉も満足に通じない、頼れる親戚もいない異国の地で、母親として子どもを生み育てる苦労は想像を絶するものがあるのだと思います。初めて見た、アリフくんの少し緊張した笑顔と、ランドセルを誇らしげに背負った姿が忘れられません。

ムスリムたちのコミュニティ

ジャシム一家が暮らす千葉県北部の郊外には、多くのバングラデシュ人が住んでいます。この辺りは印旛沼をはじめ湿地が多く、水田や河川がよく目に入ります。ジャシムさん曰く、「田んぼと緑がたくさんあって、バングラみたいで懐かしいし、土地も水みたいに安い」ので、多くの人が集まってきているそうです。

周辺にはモスクが点在し、パキスタンなどの南アジアやアフリカ出身のムスリムたちがゆるやかなコミュニティを作って生活しています。

中古の日本家屋を共同で購入し、改築した「千葉モスク」

ムスリムにとって毎年1ヶ月間続くラマダン(断食月)は特別な期間で、家族や友人などコミュニティの結びつきがいっそう強くなります。ラマダンの間は日中に食事がとれないので、ジャシム一家も断食の終わる日没の後は毎晩のように豪華な食事を用意し、家族や友人とゆっくり食事を楽しみます。

断食中の週末にはモスクで礼拝と食事会のイベントがあり、僕のところにもジャシムさんからお誘いの電話が来るようになります。誘いに応じて一緒にモスクへ行くと、日本にはこんなにもたくさんのムスリムの人々が住んでいるのかと、はじめはすごく驚きました。

夜空に新月が見えると断食は終わりです。ムスリムたちはイード(祝祭)を迎えます。翌朝、ジャシムさんとアリフ君は下ろしたての衣装を着て帽子をかぶり、車でモスクへと向かいます。

「イード ムバラク!」(おめでとう!)

モスクに集まった数百人のムスリムたちは友人を探すと、こう挨拶を掛け合います。

スマートフォンで記念撮影をしたら、カレーやビリヤーニ(炊き込みご飯)、それにお米をミルクで煮た甘いお粥を一緒に食べ、また無事に断食月を終えられたことを神に感謝し、祝うのです。

ルファちゃんが生まれる

僕が一家と知り合ってから数年が経ち、子どもたちはどんどん成長していきました。2016年の6月には4人目の子ども、三女のルファちゃんが生まれることになりました。アリフ君の入学式ではまだディパさんのお腹にいた子です。

ディパさんは切迫早産になり、予定日より1ヶ月早く入院。出産、退院までの間はジャシムさんが子どもたちのためにご飯を作り、仕事が終わったら病院にお見舞いに行く、忙しい日々を過ごしていました。

ルファちゃんが無事に生まれ、ディパさんと一緒に団地の部屋に帰ってきました。バングラデシュの人々は子どもをとても可愛がります。15歳も年の離れた長女のジェーリンちゃんが畳の上でルファちゃんのおむつを換え、みんなで仲良くあやしている様子は、なんだか昔の日本の家族のようだと思いました。

決して裕福ではないジャシム一家ですが、4人の子どもを育てるのに不安はないのでしょうか。ある時、ジャシムさんに聞いてみました。

「イスラムでは子どもがたくさんできるのは良いことだよ。子どもが食べるご飯のことは神様がちゃんとみてくれるから大丈夫」。ジャシムさんはそう言い切ります。

いま、多くの日本人が人生についての不安を抱えながら生きている中で、ムスリムの人々の心の強さに僕はいつも感心します。誰にも見通せない将来すら肯定してくれる信仰の意味を、考えずにはいられませんでした。

12年ぶりの帰国、そしてまた日本へ

僕の写真家としての「ジャシム一家」の撮影は、2012年から5年以上続きました。2017年にはひと切りして一つの作品にまとめ上げ、東京や大阪のギャラリーで展示会を開くことができました。

その後、2018年の年明けからジャシムさんの携帯電話がつながらなくなってしまいました。家族と会えない日々が続いて少し心配しましたが、今までも連絡が取れなくなることが度々あったので、数ヶ月の間そっとしておくことにしました。

4月頃にまた電話をかけると、ジャシムさんはいつものように出てくれました。

「田川さん、久しぶり、元気?いまバングラに帰ってるよ。ディパさんのお父さんが亡くなって、1月からずっと国に帰ってた」

電話がつながらなかったジャシム一家は、実はバングラデシュに帰国していたのです。

ジャシムさんはディパさんと二人の娘を日本に連れてきた2006年以来、一度も帰国していませんでした。航空券と交通費だけで一人往復10万円以上かかる上、親戚に配る大量のお土産を買う必要もあり、家族全員でバングラデシュに帰るには100万円ほどの余裕が必要になります。しかも、帰国している間は無給になってしまい、アパートの家賃などは払い続けなくてはなりません。帰りたくても簡単には帰れないのです。

1月下旬にディパさんのお父さんが亡くなったとの連絡があり、ジャシムさんはその日のうちに航空券を手配して家族全員で帰国することを決めました。帰国の当日は関東で大雪が降ったとても寒い日で、成田空港までの道のりで車が雪にはまって動かなくなってしまい、その場を通りかかった地元の日本人に助けてもらって、なんとか空港までたどり着いたそうです。

バングラデシュの実家に到着すると、親戚一同がジャシム一家の到着を待っていて、すぐにお父さんの葬儀が行われました。

それから7月下旬までの約半年、12年ぶりの帰国を果たしたジャシム一家は、のんびりとバングラデシュに滞在しました。悲しい出来事がきっかけではあったけれど、やっと国に帰ることができ、僕は心の底からよかったなと思いました。

日本で生まれ、一度もバングラデシュに行ったことがなかったアリフ君とルファちゃん。物心ついた頃には日本に移住していたジェーリンちゃんとジャンナットちゃん。みんなはじめてゆっくりと両親の母国で生活を送ることができ、バングラデシュが大好きになったそうです。

ジャシム一家と過ごした5年間

僕がジャシム一家と過ごした時間は、静かに淡々と流れてゆきました。それは、日本でありながらも、どこか知らないような場所にいるような、不思議で豊かな時間でした。

ジャシム一家の暮らしには、僕たちが「ムスリム」と聞いてすぐに連想するような、毎日必ず5回熱心に礼拝するような姿はありません。かれらはイスラムとバングラデシュという2つのアイデンティティを大切にしながらも、日本の言語や文化、風習にも親しみ、千葉の郊外でひょうひょうと生きている――。僕はそんな日常にかえって移民の生活のリアリティがあるような気がしています。

かれらムスリム移民の生活は、意識してその中に入り込まない限り「日本人」の暮らしと交わる機会が少ないかもしれません。同じ日本社会で、同じ人間が日々の生活を送っているのに、ジャシム一家と一緒にいると、そこには自分が知っていた社会とは別のレイヤーの世界が存在するかのように思えました。

今この国は、外国人労働者をさらに受け入れようとしています。“「移民」にはならない”と言っても、かれら一人ひとりにそれぞれの人生があり、家族があります。もちろん定住する外国人も増えていくでしょう。

この社会に暮らす人々は、かれらの人生をどこまで想像できるのか。それはずっと自分自身の問題意識であったし、今後の日本社会のありようも、そのことにかかっているような気がしています。この国にじっくりと根を張り、伸ばそうとしているジャシム一家のみんなは、これからどのような未来を迎えるのでしょうか。今は期待と少しの心配を胸に抱いています。

CREDIT
田川基成|取材・執筆・写真
望月優大|編集

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三木淳賞を受賞した田川基成『ジャシム一家』の写真展が新宿ニコンサロンで開催されます。会期中の12/8(土)には田川さんとニッポン複雑紀行編集長の望月優大によるトークイベントもあります。ぜひ奮ってご参加ください(編集部)。

田川基成写真展『ジャシム一家』
・2018年12月4日(火)~10日(月)10:30 – 18:30
・於 新宿ニコンサロンTHE GALLERY
・新宿区西新宿1-6-1 新宿エルタワー28階
・(※)9日(日)は休廊、最終日は15時まで

田川基成×望月優大トークイベント
・2018年12月8日(土)18:30-19:30
・無料、予約不要

TEXT BY MOTONARI TAGAWA

田川基成
写真家

「移民」と文化の変遷、宗教に関心を持ち作品を撮っている。日本のイスラム社会、長崎の海とキリシタン文化、在日ベトナム難民、北海道などがテーマ。1985年生まれ。長崎県の離島出身。北海道大学農学部を卒業後、東京で編集者・記者を経て独立。雑誌や広告の撮影、ドキュメンタリー映像制作や執筆など幅広く活動している。写真展『ジャシム一家』で第20回(2018年)三木淳賞受賞。motonaritagawa.com Twitter @mototagawa