2017.12.28

宮城や福島で炊き出し100回、なぜならそれがジハードだから。被災地でカレーをふるまい続けたムスリムたちの話

大塚にある細長いモスク

JR大塚駅から徒歩5分ほど、商店街を抜けたところにその小さなモスクはある。「マスジド大塚」だ。「マスジド」とはアラビア語でモスクを意味する言葉。モスクはムスリム(イスラーム教徒)のための礼拝所である。このマスジド大塚が創立されたのは2000年のことだ。

私が初めてこの場所を訪れたのは4年前のこと。持ち金が尽き、泊まる場所がなくなったナイジェリア出身の難民申請者がモスクでお世話になっていたときのことだった。その日は外国から来た難民だけでなく、日本人のホームレスの方たちもモスクで寝泊まりしていた。

マスジド大塚。小さなドームとミナレット(尖塔)が目印

モスクというとトルコの「ブルーモスク」のような豪華絢爛なイメージもあるが、マスジド大塚は質素なつくりをしている。横幅が3メートルほどで4階建ての小さなビル。建物と建物の間にすぽっと埋まっているかのようだ。

毎日5回ある礼拝の運営から、入信・結婚・葬式のサポート、幼稚園経営、国内外での支援事業まで、マスジド大塚の活動はかなり幅広い。しかし、有給スタッフは礼拝先導者や幼稚園保育士などの一部にとどまり、役員は全て無報酬のボランティアで成り立っている。

1991年にパキスタンから来日して以来、この日本社会で25年以上も暮らしてきたマスジド大塚のハールーンさん。大塚の街に根ざしてきたハールーンさんに、この国でムスリムとして暮らしてきた生の経験について話を聞いてみた。

クレイシ・ハールーン・アフマドさん。宗教法人日本イスラーム文化センター / マスジド大塚の事務局長。モスクの運営、活動全般を率いる。パキスタンのラホール出身。1991年留学生として来日し、日本語を学ぶために日本の大学に入学。その後、ITの専門学校を経て、日本企業で勤務。現在では自身で貿易業も営む。マスジド大塚には創立時から関わっている。

モスクは日本全体で約100ヶ所もある

ーーハールーンさん、今日はよろしくお願いします。来日26年ということですが、日本社会でムスリムを取り巻く環境にはどんな変化がありましたか?

以前と比べるとだいぶ暮らしやすくなりました。前はモスクもなかったし、食事も大変でした。池袋にハラール肉を扱っている小さい店がひとつだけ。

変化を特に感じるのはここ2、3年かな。ムスリム観光客が増え、日本政府もハラール対応などに取り組んでいます。ネットでハラールの食べ物も買えるようになった。インドネシア、マレーシアなどイスラーム圏の人たちも増えていますね。

1980年代の終わりから90年代にかけて、留学や仕事などで来日するムスリムが増えました。主にイラン、パキスタン。その中で日本人と結婚し、家族ができ、定着する人が増えました。ビジネスを手がける人も多いです。

マスジド大塚を設立したのは2000年。ここに来る前は池袋でビルの一室を借りていました。契約を更新する際に何度も断られて転々としなくてはならず、とても大変でした。それで最後にはこの大塚のビルを買って移動してきたんです。

今ではモスクが全国に約100ヶ所、東京だけでも約20ヶ所というところまで増えました。マスジド大塚はこう見えてそのなかでも大きい方のモスクなんですよ。

トラブルはないけれど、大きな距離があった

ーーこれまで地域社会とのトラブルなどはありましたか?

ご近所さんとの大きなトラブルはありません。大きな音を出さないようにとか、礼拝に来る人が邪魔になる場所には駐車しないようになど、気をつけて努力してきました。でも、トラブルはないけど、距離があった。

近くに住むおばあちゃんがこのモスクの前を通ることをあえて避けている。そんな話を聞いたこともあります。ご近所さんが「モスクに武器を隠しているんじゃないか」と心配しているといった話もありました。

奥は中国出身ムスリムのアブドゥラーさん

このモスクができたときに、海外から先生を呼んでオープンハウスを開いたんですが、地域から来てくれたのはたった一人だけ。ここの隣に住んでいた新聞記者の人です。それくらい地域社会との距離がありました。

私が大塚に自分の会社の事務所を移したときにも、不動産屋に「どれくらい武器を隠しているかわからない」と言われて賃貸を断られましたね。

今でも覚えていることがあります。ヨーロッパでテロが起きたときのことです。私の家の前に食べ物屋さんがあって、そのお店の駐車場もあります。テロが起きてから3日間、公安の車が2台張り付いていました。ずっとですよ。私の家のビデオを撮ったりしているんです。

1日目、2日目と我慢したんだけれど、3日目に車のところまで行って、怒鳴ったんですよ。喧嘩したんですよ。何を調べたいんだと。それで、いなくなったんですけど。まあ、そういうこともありました。

でも、なぜその公安のことがわかったかというと、そのお店がご近所さんですから。仲良くしてくれていて。それで、私に教えてくれたんですね。

転機になった東日本大震災

ーーそんなことがあったんですね…。

関係性が変わる大きなきっかけになったのは震災ですね。東日本大震災。

実は、震災があった直後、3月11日にとあるトルコのNGOから電話をもらったんです。直接の知り合いではなかったんですがパキスタンの知人を経由して私たちの連絡先を調べたようで。イスラームのつながりですね。

電話の向こうから「すごいことが起きているけど大丈夫か」と。私はまだ事態の深刻さを理解していなくて、向こうが「助けに来たい」と言うから気軽に「どうぞ」と言ったんです。そしたら次の日には「もう関西空港に着いた」という電話があって。そのときには私も状況を理解していました。

そんなきっかけもあって、被災地に行く方法を何とか探しました。当時は恥ずかしいことに仙台がどこにあるかもわかっていなかったんですが、3月12日には二手に分かれて東京での食料集めと、被災地でのニーズ調査を始めました。

その後、宮城や福島で100回以上、炊き出しをしたんです。

(写真:田川基成)

ーー100回以上も…!

よく誤解されるのですが、ムスリムのために被災地に行ったわけではないんですよ。イスラムでは、ご近所さんを家族と同じように大事にするという教えがあります。支援に行ったのは、私たちにとっては当たり前のことだったんです。

自分たちの地域との関係でも変化が起きました。被災地支援のために人手が必要になったので町会にも声をかけたんですね。町会もお寺も何かやりたいけれどどうすればいいかわからない。それがちょうど良かったんです。

ご近所さんが初めてモスクに来て「武器はない」「同じ人間だ」とわかってくれた。誤解が解けました。最初はおにぎりやカレーから始めました。そのあとに「和食も出そう」となって、町会の協力を得ながら和食の炊き出しもしたんです。

(写真:田川基成)

ーー被災地の方の反応はどうでしたか?

喜んでもらえたと思います。自衛隊がまだ到着してないようなところにも行ったので。「宗教の話には触れずに会話をする」という方針を決めました。それが良かったのだと思います。どんな話をしたか、具体的には覚えていないです。きっと、希望を与える会話というか、これから頑張りましょうという話でしたかね。

「今こそジハード」だと思った

ただ、当時の自分にとって「東北の被災地に支援に行くんだ」と決めることはとても大変なことでした。行きたい気持ちもあるけれどやっぱり怖い。津波が来るかもしれない。私には4人の子どもがいます。当時一番下の子はまだ6ヶ月。私の妻は日本人なのですが、彼女も不安そうでした。

でも、コーランを開いたらたまたま「ジハード」の節が出てきたのです。ジハードは「聖戦」と訳されているけれど、本当の意味は「努力」。最大の努力という意味があります。

そのとき「今こそジハードをするべきだ」と思ったんです。そのことを妻に説明すると、彼女もすぐに納得してくれました。それで被災地支援に行く力をもつことができました。あと安心感ですね。どんなことがあっても大丈夫だと思うことができた。

マスジド大塚の会長は原発のかなり近いところにまで行って支援活動をしていました。「若い者はいいから自分たちが近くまで行く」と。それも、彼にとってのジハードだったんですね。

ーー「ジハード」という言葉にはそういった意味合いがあるんですね。

そうなんです。ジハードは「努力」という意味なんです。

私の父の話でも説明してみます。父は大学教授で30年ほど前にリタイアしました。私は父に「これからどうするのか」と聞いたんですね。すると父は「今度はジハードをする」と私に言いました。どういうことか。

(写真:田川基成)

父が考えていたのは「自分が住んでいる地域の貧しい子どもたちに教育を提供したい」と、そういうことだったんです。そして、彼は実際に中学校をつくりました。生徒の8割が孤児や奨学金で勉強している子どもたちです。それが父にとっての「ジハード」だったのです。

確かに戦闘時のジハードという意味もあります。自衛のために逃げずに神のために努力をする。しかし自分の欲望と戦うことが最高のジハードです。心の中の欲望、あまり良くない欲望を正す、自制する努力です。

残念なことに、一部の人達がジハードという言葉を使ってテロ行為をしている。イスラームでは「一人を殺すことは全人類を殺した罪。一人の命を助けることは全人類を助けること」という教えがあります。だから、ISのようなテロは考えられません。本当にイスラームを信じているならそのようなことはやらないはずです。

オウム真理教を「仏教原理主義」とは言わない

ーー日本でのイスラームに関する報道をどう思いますか?

メディアが「イスラーム国」という言葉を使うのは本当に残念です。あれはイスラームとは違うものですから。

また、これも報道に関することですが、メディアはオウム真理教のことを「過激派仏教」や「仏教原理主義」とは言わないですよね。仏教から外れた人とは言わない。宗教ではなく、日本社会の問題と関連付けて報道します。にもかかわらず、イスラームの話となると「イスラーム原理主義」や「過激派」となってしまう。イスラームへの偏見に対するメディアの責任もあると思います。

マスジド大塚の礼拝所(男女別でこちらは男性用)

ーー確かにそうですね。

ただ、日本におけるイスラームのイメージは少しずつ良くなっていると思います。

一つのきっかけはやはり震災です。多くのモスクが東北へと支援に行きました。実は、当時様々なモスクから「寄付をマスジド大塚に託そう」という話もあったんです。でも、断りました。「自分たちで行きなさい」と。もちろん行き方とかは教えてあげましたよ。

そして、当時の活動をメディアがたくさん取り上げてくれたのは大きなインパクトがありました。その後モスクの数も増えて、少しずつ近しい存在になってきたのかもしれません。

日本は暮らしやすいところです。差別のない社会はないと思いますが、日本には宗教の自由がありますし女性がスカーフを被ることもできます。

ただ、もちろん日本に暮らすなかでイスラームの戒律とぶつかることもあります。例えば利息。イスラームでは利息は禁止されています。でも、日本の銀行に預けたら利息はいらないとは言えない。だから、受け取った利息は支援に使っています。そういうことはありますが、それでも宗教には寛容な国だと思いますよ。

ーーハールーンさん今日はお話聞かせていただきありがとうございました!

取材を振り返って

ふだん難民支援の仕事に携わるなかで、寄る辺のない難民申請者がモスクにお世話になっているという話を耳にすることがあった。私がモスクの活動やそれを支えるイスラームの教えに興味を持つようになったきっかけの一つだ。

今回改めてハールーンさんのお話を聞くことができて、例えばジハードが「努力」を意味するといったことを知り、イスラームを理解するためのヒントを得た気がした。まだわからないことも多いけれど、少しずつ理解していけたらと思う。

女性はスカーフを身につけてモスクに入る

ハールーンさんからは「日本は暮らしやすい」という言葉も返ってきた。確かに、日本では欧米で見られるようなイスラームに対する目立った排斥の動きは少ないのかもしれない。ただ、実際にはハールーンさんが直面してきた様々な偏見があるのも事実だし、その上で排斥の動きが大きくならないように、ハールーンさんたちの側から日本社会に対する歩み寄りの努力をしているようにも思った。

ハールーンさんは「知らないことを怖いと思う」人の気持ちを理解し、それを乗り越える術を身に着け、毎日の暮らしの中で淡々と実践しているように見えた。ただ、それだけで良いのだろうか。社会の側から歩み寄っていくことも大切ではないだろうか。

マスジド大塚では、土曜の夜はほぼ毎晩カレーをふるまっているそうだ。辛さ控えめのパキスタンカレーは大好評とのこと。自分も今度、食べに行ってみようと思う。

(▼池袋を拠点に炊き出しなどホームレスの方たちへの支援を行うNPOのTwitterに、マスジド大塚のカレーが映っていたのでご紹介します。美味しそうです。)

【コラム】日本におけるムスリム社会の歴史

日本にまとまった人数のムスリムが来日したきっかけは1917年のロシア革命。中央アジア地域に暮らしていたムスリムがさまざまな拷問や弾圧を受け、難民となって海外に脱出した。日本にも約400から600人のタタール人(トルコ系民族)がシベリア鉄道に乗って満州経由で来日。神戸と東京にコミュニティを形成し、東京は大久保が最初の定住地となった。

戦後、日本の国際社会への復帰と経済成長に伴い、日本でもムスリムの人数が徐々に増加する。1980年代後半のバブル期には、労働者としてパキスタン、バングラデシュ、イランから多くのムスリムが流入した。その後、いわゆる「不法残留者」が増えたことが問題となり、3国に対するビザ相互免除協定が停止され、ムスリム人口はいったん減少する。

1990年代には、外国人研修・技能実習制度を通じて多くのインドネシア人ムスリムが来日。早稲田大学の店田廣文氏の推計によれば、2012年末時点でのムスリム人口は約11万人。うち、約1万人は自ら改宗したり、結婚を契機にムスリムとなった日本人だという(12/28 17:15修正:国内のムスリム人口について、2012年末時点についての早大店田氏による推計であることを明記しました)。

ここ数年ムスリムの外国人観光客も増えている。2016年の統計ではマレーシアが29%増の39万人、インドネシアが32%増の27万人となっている。政府や企業もこうした時代の流れに合わせて動き出している。ハールーンさんが言うように、日本に暮らすムスリムを取り巻く環境は大きく変化している。

参考文献

  • 『イスラームの関心がある人と入信を考える人への解説』日本イスラーム文化センター、2017年
  • 店田廣文『日本のモスク 滞日ムスリムの社会的活動』山川出版社、2015年
  • 東京ジャーミィ ウェブサイト

TEXT BY SHIHO TANAKA

田中志穂
ニッポン複雑紀行編集部/難民支援協会

難民支援協会広報部所属のライター・ファンドレイザー。大手メーカーでの勤務、大学院での移民研究ののち、2010年に難民支援協会に参画、広報活動を統括する。これまでに難民の故郷の家庭料理を集めたレシピ本『海を渡った故郷の味』の出版や、『日本に暮らす難民28人のポートレート写真展』なども手掛けた。趣味は旅、山登り。Twitter @tn_shiho