2018.07.26

オレはオレのことをオレの歌で証明。ベトナム難民2世ラッパーが歌う「オレの歌」を聞いてくれ

神戸で出会ったボートピープルの息子

MC NAM(ナム)、本名Vu Ha Viet Nhat Hoai Nam(ヴー・ハー・ヴィエット・ニャット・ホアイ・ナム)。かつての通名は翔。1987年、日本生まれの31歳。ベトナムから日本へ渡ったボートピープルを両親に持つ、ベトナム難民2世のラッパーだ。

神戸市長田区にあるベトナム人コミュニティの取材をしていたところ、偶然の縁で、自分と歳の近い彼の存在にたどり着いた。

MCナムは2009年に「オレの歌」を発表。ベトナム戦争の惨禍を逃れた祖父母や両親が、ボートピープルとして海に出てから21日後、日本の長崎に命からがらたどり着いた当時の様子を彼はこう描写している。

生きるか死ぬか 生と死のはざま/パパとママの船は逃げ出した3日後/水平線に黒船 服脱げ 手を振れ/助けてくれた貨物船の行く先へ

マレーシア シンガポール インドネシア ジャパン/ラオス カンボジア ベトナム インドシナ/船が逃げ出してから21日間/不安と希望がまず初上陸したのは

長崎 次の行き先 四国 姫路 神戸/長田で生まれた長男 三番目/じいちゃんばあちゃん 聞いてくれ/昭和62年 大声を出して出てきたぜ この世に

(MCナム「オレの歌」より)

(「オレの歌」YouTubeより)

MCナムの祖父母と両親は南ベトナムをボートで脱出。洋上で貨物船に助けられ、最終的に日本の長崎にたどり着いた。その後、日本各地を転々としたのちに神戸市の長田区に定住。長田には今もナム一家を含むベトナム難民たちの大きなコミュニティがある。

近年は難民として来日したベトナム人だけでなく、留学生としてやってくるニューカマーのベトナム人も増えた。そもそも長田はベトナム人だけでなく、在日コリアンなどその他の様々なエスニックコミュニティの拠り所ともなってきた街でもある。

そんな長田の街を歩きながら、MCナムは自分が生まれたこの街で過ごしてきた時間について少しずつ話を聞かせてくれた。

ナムから翔へ。翔からナムへ。

――ヒップホップにハマったきっかけは?

若気の至りじゃないですけど、10代の頃ってみんなやんちゃしたりするじゃないですか。自分は夜間の定時制の高校に入って、それから2週間で学校内で喧嘩をして。バイクの窃盗もして、無免許で捕まって。高校の停学中に他校の文化祭で喧嘩もして。それで強制退学になったんです。

その頃からラップのファッションが好きで真似してたんですよ。流行ってたので。でっかい帽子かぶったり、バンダナをつけたり。カラオケでラップもしてて、自分でもやりたいなあって。どうやるんかなって。

そしたら地元の先輩が実際にやっていて。それでライブとかストリートでやっているのを見に行かせてもらって。で、「お前もやってみろや」ってところから自分も入っていきました。フリースタイルっていうのも教えてもらって。MCバトル、ラップバトルがあって。

その頃は喧嘩をしたりバイクを盗ったり。でも、喧嘩したら痛いし、バイクを盗ったらママにも怒られるし。盗んだバイクを壊してオカンが怒られて弁償したり。そんなんするくらいだったら、ラップで喧嘩した方がいい。マイク1本やしその方がいいって、そういう入り口だったんです。

そっからですね。ラップというかヒップホップを好きになったのは。

――「MCナム」が生まれたのはいつ頃?

小学校まではずっと「ナム」でいってたんですよ。名前でからかわれていたりしたから、早く日本名にしたいなという思いも強くて。中学に入った時に日本名、通名をつけました。

だからヒップホップの先輩と出会った時は通名で出会ってます。「翔、翔」って呼ばれていて。僕の名前は「翔」っていうんです。で、ラップ名をどうしようかなってときに自分との葛藤もあって。

ほんまは「ナム」って名前もあんねんけど、言うのもこっ恥ずかしい。「ベトナム人なんや」って質問もこれまでされてきたから隠してたんですね。ヒップホップの先輩と出会って何年か経ってから、ようやく告白できるようになった。

――先輩たちに「ナム」であることを言えるようになった。

そうですね、17、18くらい。「お前『ナム』ってなんや」「お前ベトナム人なんや」「オレの嫁さんも実は韓国人やねん」って。

彼らが「『ナム』ってかっこいいやん」って言ってくれたんですよ。

当時の同級生とかの場合は、ナムとか言ったら「ベトナム語しゃべれるん?」とか「ベトナム人なん?」ってそういう質問だったけど、ヒップホップの先輩たちは「かっこいいやん」って言ってくれた。

そういう話をしてくれたんで「あれ?」って思って。「俺いけるやん」って。だったら「MCナム」の方がええやんっていうのもあって。

――そっちの方がいいなって思えたんですね。

そういうこともあって。自分のルーツ、ベトナム人ということであったり、オトンとオカンが船でやってきたって話も掘り下げてみたり。中学時代の俺がベトナム人であることを隠していた話とか。そういうのを込み込みでカミングアウトしたら俺もすっきりするし、みんなもびっくりするんちゃうんかなって。そうしたら1個のヒップホップ要素の強い曲が作れるんちゃうかなって。で、作ったのが…

――「オレの歌」なんですね。当時の話は家族から聞いていた?

母親が自分から結構話すから。空気を読まれへんというか、あの頃に戻りたいと思ったときに急に話すんで。そのときは、多分すごい大事な話をしてるんだけど、俺ら兄弟も「今その話するん?」みたいに思ったり。でも「これはやっぱり聞いとった方がええやつや」とも思ったりしてました。

(「オレの歌」YouTubeより)

なんかこう自分で体験していないんで、話を聞いてとにかくすごいなって。小さい船にいっぱい乗って、おじいちゃんに「これだけ持っていけ。海賊に言われたらこれで命拾いしろ」って、蜂蜜を飴にしたものと金の指輪を渡されたという話を聞いて。かっこいいな、おじいちゃんもすごいなって。オカンも隠れたり色々大変だったって。

――想像もできない世界。

自分の名前にも特別な意味があって。Vu Ha Viet Nhat Hoai Namは「父、母、ベトナム、日本、想、南」という意味。前の4つ(Nhatまで)が苗字。でも、学校のテストでは「ホアイ・ナム」しか書かない。「ホアイ」が苗字みたいな感じで。6つも名前があるのはベトナム人の中でも長いです。普通は3つか4つくらい。

――小学校や中学校に同じようなルーツの子たちはほかにもいた?

小学校に2人くらいかな。一人幼馴染の子がいて、保育所ではベトナムの名前だったけど小学校に入るときに日本名になってたんです。だからその子に対して俺はベトナム人って認識があるけど「なんでこいつ日本名なん」っていう。

ほかの国の方でも日本名の方がいるじゃないですか、そんな感じ。俺は「ナム」って書いて「なんでお前カタカナなん?」ってつっこまれる。でもその子はなんもつっこまれへんっていう。

オレの名前は Vu Ha Viet Nhat Hoai Nam/パパとママとベトナムと日本とマイネーム/中学入学で名を翔と書く/ベトナム人がいやでなりきったジャパニーズ

日本名にこの顔誰もわかりゃしない/ただ素性がバレるのが いやでいやでたまらない/B-Boyに惹かれて買った服はでかめ/日本人ラッパー真似して オレもなったラッパー

ある日気づいた 名前もラップも真似ばっか/逃げ回っててばかり ベトナム人を隠し/ある日気付かされたオレはナムなんだと前進/その日から日本に住むベトナム人ラッパー

(MCナム「オレの歌」より)

オレはオレ。書類は書類。

――「オレの歌」をリリースしたときの周りの反応はどうでした?

みんな結構びっくりしていて。ベトナムの人らもびっくりしてたし、日本人もね。「あいつが!」みたいな。歌を歌っていることもそうだし、「あいつってベトナム人なんや」みたいなことも。

――「オレの歌」はある意味で「親を受け入れる」のと同じタイミングでもあった?

そうね。うんうん。

ちっちゃい頃って親がベトナム語でしゃべりかけてくるんで自分もベトナム語で答えていて。でも小学校に入って高学年になるにつれて、周りにベトナム人も少ないし、親が授業参観に来たりとか、運動会のお弁当とかで、「ちょっと周りとちゃうなあ」って変化を感じてきた。

それで恥ずかしくなってきてベトナム語を隠すようになる。自分は無理やり日本語をしゃべる。でもそれに対してお母さんはベトナム語で返すってなってきて。親はベトナム語で話しかけてくるのに、自分は日本語で返す。親には「ちょっと日本語喋ってよ、外では」って。保護者面談みたいなときもね。昔は親への反抗の方が強かったですね。

ただ、自分も「ベトナム人なのにベトナム語をしゃべれない」っていうのが嫌で恥ずかしいという気持ちもあって。17歳の頃からちょくちょくベトナムに行ってベトナム語を勉強するようになったんですよ。

向こうの大学でベトナム語専門科にも入りました。その延長線上で仕事にもなると思ったしね。そうしたら、僕がベトナムでベトナム語を勉強して帰ってくるのが、オカンの喜びにもなったみたいで。

今は弟や妹ともベトナム語で話したりする。もうベトナム語に対する否定的な気持ちはなくなったかなあ。

――今も周りに2世の方たちがいる?

うん、いますよ。教会とかに行ったら会ったりもする。小さいときから顔は知ってるけれど、そこまで踏み込みはしないかな。同士で遊ぶこともあまりない。

周りのベトナム人は日本人と結婚する方が多い。いつの間にか子どもと嫁さんがおった、みたいなね。

――もう3世の世代が生まれ始めてるってことですよね。

そうそう。赤ちゃんの名前は日本名をつけてることが多いな。自分のお姉ちゃんも子どもが4人いるんですけどみんなそう。

――日本に最近来ているベトナムからの留学生たちに対しては「自分と同じ人たち」という感覚がある?

別の人。「別の国からきた人がおる」みたいな感覚になる。でもベトナム語はわかるから親しみはある。

――自分自身ベトナム人というアイデンティティは…?

ある。でも今ベトナムから来ている人たちとはなんか全然違う。なんだろうね。例えが見つからん。台湾と中国みたいな感じかな。

――過去に「日本人になりたい」というような気持ちもあった?

それはずっと思ってた。パスポートもなかって、外国人登録証を持っていた頃はすごくなりたいと思っていたけど。そのあと二十歳くらいで帰化して。便宜性もあるし。外国人登録証とか難民の人はすごく手間がかかるんですよ。帰化した方が色々楽、便利。だからなりたかったっていうのもあるし、やっぱり「日本の人と一緒になりたい」っていう気持ちはめっちゃあった。

自分の中では「俺は俺」「書類は書類」って分けていて。だから、ベトナムに行ったときも、悪いことしていないのにスパイになったような気持ちだった。まあ、それが面白いんだけど。

――両親ともにベトナムから来た。でも今の自分のパスポートは日本。

俺はハーフじゃないし、そこのコミュニティからも一線置かれてる気もして。昔ダブルとかハーフの人たちがそういうアーティストをたくさん呼んでイベントを起こしたんですよ。そのときに僕も呼ばれたんですけど、僕はハーフでもない。けどベトナムルーツだったんで呼ばれてね。周りはみんなハーフ、ミックスなんですよ。「俺、ちゃうんかな」って。

だが 日本人になりきりすぎて 大切な母国語を話さなくなった/母国に帰ってもオレは日本人だと言われる/この国で生きる大変さ知りもしないで

オレたちが裕福だと思っていやがる/金ない どうする? 物盗る? 捕まる?/国籍ない 行き場ない 一生出れない/保険ない 仕事ない 病気さえもできない

正式に国籍がない人がいっぱい/オレが何人だろうと一体構わない/流れてる血は日本より西のものだから/だからオレはオレのことをオレの歌で証明

(MCナム「オレの歌」より)

納豆とキムチ混ぜて食べたらうまいやん

――最近も世界中から日本に「自分の国に住めなくなってしまった人たち」が来ていることについて、どう思いますか?

僕は、いいと思いますね。例えば戦争から逃げてきて、やっぱり愛とか平和とか求めて逃げてきてるんで、そういう人が日本にきて害を及ぼすとは思えないんですよ。平和を求めて、日本みたいに治安のいい国でしんみり暮らせたら良いんで。

――ネットで外国人に対するひどい言葉を目にすることも多いですよね

反日とか中国に対することとか色々あるじゃないですか。「やめようよ」っていう。テレビ番組でも色々と戦いがあるじゃないですか。なんだろうな、料理に例えて言うと「納豆とキムチ混ぜて食べたら美味いやん」って。それやんって。それだけでええやん。ええもんだけ吸収して、あとマイナスのものはあまり考えんようにしたほうがええんちゃうって自分はそういう考えですね。

取材後記

70年代後半に始まったインドシナ(現ベトナム・カンボジア・ラオス)難民、すなわちボートピープルの受け入れは、日本における難民受け入れの端緒を画す出来事だった。日本に暮らすたくさんの人々が、命からがら流れ着いた人々を懸命に支援した。日本が受け入れたインドシナ難民の数は合計1万人以上に上ると言われている。

実は、今回同行した写真家・田川基成の父も、当時長崎に設置された難民受け入れ施設で働いていた一人だった。難民1世であるナムの母親に話を聞くと、彼女がまさにその施設で暮らしていたことがわかった。彼女は田川の父親のことも覚えていたのである。40年近くの時を越えて、ほどけていた縁が奇跡のように結び直された。

不安と希望がまず初上陸したのは/長崎 次の行き先 四国 姫路 神戸/長田で生まれた長男 三番目

『オレの歌』の歌詞にある通り、ナムの両親は長崎から四国、姫路、神戸の長田区へと生活の拠点を移した。そして、長田で三男として生まれたのがのちにMCナムとなるVu Ha Viet Nhat Hoai Namである。

多くの人は、生まれたときに与えられた名前で死ぬまで生きていくのが普通だと思っているだろう。両親の離婚などで苗字の方が変わる可能性はあれど、下の名前の方を変えることのイメージを持っている人は少ないのではないか。

しかし、難民2世として生まれた彼にとってはその名前こそが最も重大な問題だった。ナムなのか、翔なのか。ベトナムなのか、日本なのか。自らを「他者」として眼差す社会の中で、係留するべき港が見つからないボートのように、彼のアイデンティティは揺れ動いた。

高1で学校からもドロップアウトした翔。彼を社会に繋ぎ止めたのはヒップホップだった。ヒップホップこそが彼をあの先輩の言葉へと出会わせた。

「『ナム』ってかっこいいやん」

人間を救うのは分かりやすい「支援者」ばかりではない。しかし、人間を救いうるのはいつだって「他者」である。

音楽が彼を他者と出会わせ、他者と出会った彼は自らと出会い直すことになった。そして、両親の、祖父母の歴史的な経験とも出会い直したのだ。

そうして、MCナムは『オレの歌』を書いた。

アイデンティティとは何だろうか。
硬い岩のように揺るぎないものだろうか。
それとも、時間と対話の中で揺れ動くものだろうか。

MCナムの『オレの歌』を聞いてくれ。
そして、考えてみてほしい。

MCナム『オレの歌』- 歌詞全文

2009年2月3日 改めまして 明けまして 新たな/聞いてくれ オリジナル オレが我になる ことで始まる 交わる/yeah フリースタイルじゃない/これがオレの歌

yo 一本の線は切れているぜ ニッポン/どこの国も戦争 1960/75年に終了した戦後 いかした先祖の昔話/小さな船に47人 周りを見渡せば水平線に ノーパスポート/合図を確認 慌てず船出す/国と国の了解 見つかれば即即死

生きるか死ぬか 生と死のはざま/パパとママの船は逃げ出した3日後/水平線に黒船 服脱げ 手を振れ/助けてくれた 貨物船の行く先へ

マレーシア シンガポール インドネシア ジャパン/ラオス カンボジア ベトナム インドシナ/船が逃げ出してから21日間/不安と希望がまず初上陸したのは

長崎 次の行き先 四国 姫路 神戸/長田で生まれた長男 三番目/じいちゃんばあちゃん 聞いてくれ/昭和62年 大声を出して出てきたぜ この世に

鉄砲玉一つ使わず勝ち取った部族/生き残りの賭けを勝ち取った民族/感謝する戦争を生き抜いたじいちゃんに/ありがとう死なずに海を越えてくれたことに

ナナナナナナナ ホアイ ナム/オレは向かい風を歩くベトナム(少年)/知らなかったぜ マイライフ(人生)/始まりはボートピープル(x2)

(「オレの歌」YouTubeより)

オレの名前は Vu Ha Viet Nhat Hoai Nam/パパとママとベトナムと日本とマイネーム/中学入学で名を翔と書く/ベトナム人がいやでなりきったジャパニーズ

日本名にこの顔誰もわかりゃしない/ただ素性がバレるのが いやでいやでたまらない/B-Boyに惹かれて買った服はでかめ/日本人ラッパー真似して オレもなったラッパー

ある日気づいた 名前もラップも真似ばっか/逃げ回っててばかり ベトナム人を隠し/ある日気付かされたオレはナムなんだと前進/その日から日本に住むベトナム人ラッパー

だが 日本人になりきりすぎて 大切な母国語を話さなくなった/母国に帰ってもオレは日本人だと言われる/この国で生きる大変さ知りもしないで

オレたちが裕福だと思っていやがる/金ない どうする? 物盗る? 捕まる?/国籍ない 行き場ない 一生出れない/保険ない 仕事ない 病気さえもできない

正式に国籍がない人がいっぱい/オレが何人だろうと一体構わない/流れてる血は日本より西のものだから/だからオレはオレのことをオレの歌で証明

ナナナナナナナ ホアイ ナム/オレは向かい風を歩くベトナム(少年)/知らなかったぜ マイライフ(人生)/始まりはボートピープル(x3)

(「オレの歌」YouTubeより)

 

CREDIT
望月優大|取材・執筆
田川基成|取材・写真
野津美由紀|編集

 

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TEXT BY HIROKI MOCHIZUKI

望月優大
ニッポン複雑紀行編集長

ライター・編集者。日本の移民文化・移民事情を伝えるウェブマガジン「ニッポン複雑紀行」編集長。経済産業省、Google、スマートニュースなどを経て独立。株式会社コモンセンス代表取締役。東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(地域文化研究専攻)。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味は旅、カレー、ヒップホップ。1985年生まれ。Twitter @hirokim21