2019.7.17掲載

TOPICS 01

9.11同時多発テロ後、
突然収容された日本の難民申請者たち。
あれから難民の収容は変わったか?

2001年、アメリカ同時多発テロによる影響で、アフガニスタンにおける迫害から日本に逃れてきていた難民の人たちの身に起きた事件をご存知でしょうか。難民申請者9人の一斉収容事件です。母国から助けを求めて日本にきたはずの難民の人たちが突然、合理的な理由もなく捕らえられ、そのほかの難民申請者や支援者たちにも衝撃が走りました。

弁護団のひとりとしてこの事件に携わった児玉晃一弁護士に、当時の状況を伺いながら、現在にもつながる日本の収容の問題について伺いました。

児玉晃一(こだま・こういち)さん
弁護士。外国人の権利の問題に高い関心と問題意識を持ち、弁護士として長年支援に携わる。入国管理局に収容されていたカメルーン人男性が体調不良を訴えるも放置され死亡した事件(2014年)や、長期収容されている外国人による集団提訴(2019年)など、収容問題を多数手がける。

911後に起きた、難民申請者の一斉収容

2001年のアフガニスタン人難民申請者一斉収容事件について教えてください。

2001年10月3日、日本で難民申請中だったアフガニスタンからの9人が東京入国管理局(以下、入管)に一斉に摘発・収容されました。米国で起きた911テロのあとです。通常行われる非正規滞在の摘発とはちがって、ものすごい数の機動隊に取り囲まれたと本人たちから聞いています。

9人は911の前から日本にいて、難民申請の結果を待っている状態でした。それまでにも仕事で日本に来たことのある人たちばかりでしたが、突然日本大使館がビザを出さなくなったため、近隣の国まで飛行機で来て、日本には密航船で上陸していました。

「難民申請者の収容は原則すべきではない」という国際的な原則がありますが、このときは難民申請手続きのために提出していた住所が摘発に使われたそうですね。一斉収容の翌日、弁護士27名による弁護団が結成されました。

弁護団ができて10日後には、東京地方裁判所に対して収容令書を取り消すための訴訟と執行停止の申し立てを行いました。あまりにも不合理な収容だったので、一日でも早く解放してあげたいと急ピッチで準備を進めたんです。

収容された9人のうち4人が東京地方裁判所の民事第2部、5人が民事第3部で扱われることになりました。これが後の運命を分けることになります。

決して楽観視できる訴訟ではありませんでしたが、民事第3部の裁判長からは「これはどうなっているのか」と国や弁護団に追加の問い合わせがありました。それで、これは裁判所もきちんと関心をもってくれている、いけるんじゃないか、という期待が弁護団のなかにできていきました。

そうした追加の問い合わせは、あまりないことなのですか?

民事第3部の藤山雅行裁判長(当時)は、別の難民に関する事件のときにもニュージーランドの難民専門家から、2日間かけて難民の定義などについて聞いています。裁判所はたくさんの事件を抱えているため、普通はそこまで時間をとることはしません。誠実に話を聞いて真剣に取り組んでくれているという印象がありました。

民事第2部と第3部の決定は、一日違いで出されました。

まず、民事第2部の決定が11月5日に出ました。その日の夕方に連絡があり、午後7時には決定の言い渡しがあるということでした。通常、裁判所が午後5時以降に決定を出すことはほとんどありません。私たちは「難民申請をしている人たちを捕まえるのはおかしいし、彼らはとても疲弊しているので早く出してほしい」と訴えていたので、これは一刻でも早く解放するというメッセージではないかと私たちは期待しました。

真逆にわかれた東京地裁の決定

しかし、結果は……

民事第2部の決定は申し立てを却下するというもので、4人の収容は続くことになりました。その日、緊急の弁護団会議を開きましたが、みんな茫然としていましたね。まだ民事第3部の決定は出ていませんでしたが、その時点では悲観的な見方をしている人が多くいました。実はこの「収容令書の取り消し訴訟および執行停止の申し立て」は、1969年の一件を除いて認められたことがなかったんです。

そして、翌日の11月6日、民事第3部の決定が出ます。「難民が正規の手続き・手段で入国することが困難である場合が多いこと」を認め、「収容を行うことは、難民条約31条2項に違反すると言わざるを得ない」として、収容すべきでないとする決定でした。

日本の場合は「全件収容主義」といって、その人が逃亡する可能性があるのかどうかなどに関係なく、不法上陸であれば誰でもつかまえて収容していいんだというのが入管側の収容の解釈です。でも、私たちはそんなのはおかしいと主張していました。

あくまで収容というのは、強制送還の準備などで他に代わることのない場合のみの手段です。彼らは母国から逃れ難民として日本に庇護を求めて日本に来ています。住所も明らかにして難民申請の手続きをしている最中の人が逃げるわけもないし、収容する必要はありません。

こうしたことから、民事第3部の決定では「難民の移動に対して、必要制限以外の制限を課してはならない」とする難民条約31条2項をもってきたのだと思います。

一斉収容されたアフガニスタン人難民申請者のなかで、収容されたままの4人と解放された5人 と、判断が真逆に分かれた結果になります。

この結果は「裁判官が違ったから」としか説明のしようがありません。民事第2部で却下されたアフガニスタン人の方たちは怒っていましたよ。まったく同じような書類を出して、5人は解放されて4人は捕まったままなのですから。4人からは「どうして俺たちはそっちの裁判官にならなかったのか」と言われました。それは当然そういう気持ちになると思います。

収容を解かれた5人については、支援者が宿泊場所を提供し、難民支援協会をはじめさまざまな団体が生活支援を行っていました。しかし、国が控訴し、一か月後の12月中旬に高等裁判所が「5人は就労が目的だと思われる」として、解放の決定を覆します。一度解放された5人も入管への出頭を求められました。

[東京入国管理局第二庁舎(旧)]

かつて十条にあった東京入国管理局(現在は品川に移転)

再収容されるとわかっていながら出頭しなければならなかったわけですね……。

そうです。出頭すればまた収容されるけれど、もし行かなければ入管が捕まえに来て、いずれにせよ収容されます。出頭命令に応じなかった場合は次に出てこられる可能性が低くなる。やっぱり行くしかないだろうということで、本人たちも納得のうえで出頭しました。私たちも、その日のうちに仮放免(収容から一時的に解くこと)を求める申請準備をしていったんです。

彼らの態度はとても立派で、「支援していただいた方に感謝しています。私たちは逃げも隠れもしません」と言っていたのを覚えています。それは僕にとってもつらい体験でした。宿泊場所に迎えに行って、一緒に東京入管に行くのですが、「自分は何やっているんだろう……」と思いました。僕らは捕まっている人を解放する仕事なのに、僕がやっているのは捕まえさせに行っていること。もちろん出頭しないで捕まるよりはリスクも低いし、理屈では間違ったことはしていないと分かっているのですが、「でも、やっぱり結局は捕まえさせに行っているんじゃないか」という葛藤がものすごくありました。

収容による難民申請者の精神的負担

収容されたままの4人の難民申請者の方々には強制退去の手続きが進められていきますが、その間も弁護団の方が面会を続けていたのでしょうか?

弁護団の担当者が面会を行っていました。しかし、精神的に追い詰められていて、洗剤を飲むなど自殺を試みる人が何人もでている状況でした。

最終的に解放された後の健康診断では、9人全員に急性心的外傷性ストレス障害(ATSD)の症状が見られました。心的外傷後ストレス障害(PTSD)が過去の体験で受けた心の傷の「かさぶた」だとすると、ATSDは心の傷がまだ開いている状態。母国で受けた心の傷が癒えていない状態の人を収容することは、その傷に塩をすり込むようなもの。トラウマを増やすことにもつながります。

そもそも保護を求めて日本に逃げてきたのに、犯罪者扱いされて捕まるということが納得できないですよね。

この一斉収容事件は、当時の新聞でも大きく報道されました。

朝日新聞の一面や毎日新聞の社会面のトップにもなりました。難民や収容の問題がこれだけ毎日のように継続して大きく取り上げられたことは、過去もそれ以降にもないと思います。

東京地裁の結論が2つに分かれたということもあったし、アフガニスタンで空爆が起きていた時期だったというのもあります。ただ、一般の方がどれだけ関心をもっていたのかは正直なところ分かりません。

当時、日本政府はアフガニスタンの難民支援のために国連機関へ145億円の拠出を決定していました。一方で、日本に逃れてきた難民申請者を収容したわけです。これは二重基準(ダブルスタンダード)ではないかと、マスコミからも批判されました。

世論としては難民申請者の収容に対して批判的だったと思います。その流れを変えようとして法務省側が反論の記者会見も開きました。これも異例なことでした。

11月に解放されたアフガニスタン人の難民申請者の方々は「自分たちは犯罪者ではない」と顔を出して会見もしましたが、その結果、法務省から本人の銀行口座残高など難民該当性と関係のない個人情報が発表され、嫌がらせなども受けました。この事件以来、難民支援協会では、たとえご本人の希望があっても難民申請中の方の氏名を公表しないようになりました。

その後、1月4日に再び訴訟を起こし、9人のうち7人は執行停止が認められて3月1日に出てきました。それも高裁でひっくりかえされるのですが、今度は再収容の際に即時仮放免が認められました。残りの2人も仮放免が認められて、4月26日までには牛久にいたアフガニスタン人全員がでてきています。ただ、難民認定を受けた人は一人もいませんでした。

現在も続く日本の収容の課題。自由を奪う「全件収容主義」

長い人では約半年もの間、収容されたことになります。また、この9人以外にも同時期に半年以上収容されていたアフガニスタン人がいることがのちに判明しました。最近では、収容期間のさらなる長期化が問題視されていて、2年、3年と収容されたままという人が少なくありません。日本は「全件収容主義」だというお話がありましたが、他国とはどう違うのでしょうか?

「全件収容主義」は、オーバーステイとか不法上陸とか入管法違反の事実に対して、その理由やその人が逃げる可能性があるかどうかなどを考慮せずに捕まえて、退去強制手続きを進めることです。

イギリスなど諸外国では、収容はあくまで強制送還のためのもの、という考え方。まず違う手段がないかを考えるのが先になります。その人を拘束することが本当に必要なのかどうかを慎重に検討して、最後の手段として使うものです。

不必要な身体拘束はしてはいけないというのが前提にあるわけですね。

人権があるからですよね。それに比べて、日本の収容に対する姿勢は、「難民申請者には人権がない」と言っているようなものです。アフガニスタン難民申請者の訴訟で、民事第3部の藤山裁判官は「拘束されない自由は、生命に次ぐ重大な権利」だと、はっきり述べました。

突然捕まって収容された人は、住まいも仕事も失ってしまう。家族とも離されてしまい、情報を得ることもできません。何もかも自由にできなくなってしまう。それが収容です。

児玉さんは、どういうきっかけで収容や難民の問題にかかわるようになったのでしょうか?

弁護士になって2年目のときに、初めて収容問題を担当したんです。イランから逃れてきた家族で、まだ難民申請はしていませんでしたが、両親だけでなく小学校3年と6年生の子どもが一緒に収容されていました。刑事事件だって小学生を捕まえることはないですよね。なんで捕まっているのか最初は意味がわからなくて、調べたら「全件収容主義」という言葉につきあたってすごく驚きました。

収容所の雑居房は窓から外も見えず、部屋の中にあるトイレは低い仕切りがあるだけで音もにおいもつつぬけ。ひどい環境だったんです。お母さんは「子どもをこんな劣悪な施設にとじこめておくことに耐えられない、イランに帰って銃で殺されたほうがマシだ」と話していました。
小学校の一学期がもう少しで終わる時期だったので、夏休みまでは子どもを学校に通わせたら帰国するという話で、お母さんと子どもだけが仮放免で出てきていました。

そのときに出会ったんですね。

お話を聞いてみると、母国に帰ったら本当に命が危ない状況だとわかったので難民申請を手伝いました。お父さんだけが収容されていたので、入管の面会にも一緒にいきました。

お互いを隔てるアクリル板の下に、書類のやりとりをするための細いすき間があるのですが、面会が終わって別れ際にお父さんが指をだしたんです。そうしたら、そこにお母さんが口を近づけてキスしていました。収容されれば、夫婦や家族が手をつなぐこともできない。本当にひどいと思いました。そのときの経験がきっかけになっています。

実際の写真ではありませんが、収容所での面会はこのようにアクリル板越しでのみ可能です

僕が弁護士になった時代は、子どもも含めて家族全員を収容していたんです。その後は、お父さんだけを人質にとって収容して、お母さんと子どもは解放する時代が長らく続きました。子どもを入管に収容しなくなったのは、この20年間で唯一の改善点かもしれません。しかし、最近でも報道がありましたが、両親ともに収容して子どもを児童相談所で保護するケースが再び増えています。

収容の状況は、さらに悪化している

アフガニスタンの難民申請者一斉収容事件から18年が経ちましたが、収容の状況は何か変わったのでしょうか?

いまがいちばん状況は悪いのではないでしょうか。裁判所も入管施設からの解放をまったく認めなくなりました。仮放免も基本的に認められません。正確な数値はまだ出ていませんが、弁護士会が調査した件数によると、2018年の牛久収容所での仮放免者数は2017年に比べて3分の1にまで減っています。

2018年2月28日に入管が内部通知で、仮放免を認めない要件を明文化しています。仮放免で出たけれど生活に困って仕事をした人、居住する都道府県から出るときには毎回許可を得なければいけないのですが、うっかり許可をとらないで出かけてしまった人などもそれにあたります。

実際に、引っ越す際には事前許可が必要だということをよく理解していなくて、引っ越したあとに本人が入管に知らせに行ったら、「事前に言わないとダメじゃないか」と収容されてしまったケースもあります。その方は3年間ずっと収容施設に入れられたままです。

故意ではないのに3年も?

普通だったら「次からは事前に言いに来るように、気を付けてください」と言えば済むことですよね。でも3年も捕まったままで、仮放免の申請も10回以上不許可になっています。不許可の取り消し訴訟も裁判所で負けています。なぜここまで仮放免を認めないのか全然意味がわかりません。

[仮放免申請の許可・不許可数と不許可の割合]

2016年の訪問時、2018年2月26日に東日本入国管理センター訪問時にそれぞれ概数として提供された数より難民支援協会作成

本来、収容は強制送還のためにあるもので、見せしめや懲罰のためにあるものではないんですよ。強制送還が予定されない収容はやってはいけない。しかし、入管の内部通知をみても違う目的でつかっていることは明らかです。

人身の自由は基本的な人権である

なぜ仮放免が認められないのか、その理由も明らかにされません。

たとえばイギリスでは入管が収容を決定するのは日本と同じなのですが、解放の手続きは入管とは別組織である裁判所が行います。保釈のガイドラインはネット上で公表されていて、「人身の自由はあらゆる人に適応される基本的な人権である。これは英国の市民権を持っている人だろうが、出入国の対象になる人であろうが変わらない」という原則にのっとっています。

保釈の申請があれば3日以内に公開の法廷を開いて、1時間くらいの審議で判断する。本人は収容施設からビデオで参加します。イギリスに行って、目の前で保釈が許可されるのを見たことがあるんですが、裁判官が「今この人に保釈の決定を出しました。FAXでいますぐ送りますから、届いてから30分以内に解放してください」と言っているのを見て、思わず鳥肌が立ちました。

イギリスの弁護士に「日本はどうなんですか」と聞かれて、収容も解放も入管が判断して行政手続きだけで行うという話をしたら「入管は捕まえたいから捕まえているんで、その人たちに出してくださいと言っても出すわけないでしょう」と驚かれました。本当にその通りで、日本のシステムがおかしいのです。

日本の収容施設では著しく体調が悪くてもすぐに外部の医療機関で受診できず、医療放置による死亡事故なども起きて問題になっています。こうした状況は以前からあったのでしょうか?

医療アクセスは以前から悪いです。医師の常駐を求める声もありますが、そもそも2年、3年といった長期収容を前提にしていることが根本的におかしいと思っています。確かに現状では医療体制は大きな問題ですが、必要最小限の収容に限るなら、そういうものは考える必要はないはずです。不必要な長期収容をなくすことが重要です。

これだけ問題が起きていて、国会でも取り上げられていますが、状況は変わりません。

一生懸命この問題に取り組んでくれる議員もいるのですが、多数派を占めるには至りません。当事者には選挙権がないので、選挙の票にはつながらないことが大きいのではないでしょうか。

母国から助けを求めて日本に来たはずの難民の人たちは、どうして自分が捕まって収容されるのか意味がわからないし、納得できません。しかも、いつ解放されるのかもわからない。僕は、最初の事件で「子どもを収容するのはおかしい」と感じたことから関わり始めましたけど、国際的な事例を調べてみると、どうも日本の状況だけがおかしい。正しいことであれば、いつか変えられるだろうと思ってやっています。

これまでにも、先輩の弁護士たちが「絶対に変えられない」と言われながら改善を実現してきた例があります。入管問題も誰かが続けて取り組んでいかないと変わらない。目指すゴールが正しいことはわかっているので、自信をもってやっています。

厳しい状況ですが、この約20年のなかで見えてきた「希望」はありますか?

仲間が増えたことかな。弁護士もそうだし、関心をもって話を聞いてくれる人も増えました。SNSなど情報発信の手段が増えたのは大きい。少し前に入管での救急車の搬出拒否がSNSで広がって国会や報道でも取り上げられました。20年前だったらこんな風に取り上げられたりはしなかったと思います。僕らのフィールドはやはり裁判なので、裁判の現場で頑張っていきたいと思っていますが、「日本の収容制度はおかしい」と思う人が増えていくことも大きな意味があると思います。

CREDIT

中村未絵 [取材・執筆]

難民支援協会 [取材・編集]

馬場加奈子 [撮影]

20th anniversary since 1999