2019.08.29

「雇用の調整弁」ではなく「丸ごとの人」として。多文化共生都市・浜松で今必要な「ソーシャルワーク」の実際

静岡県浜松市。人口80万を超える県最大の都市で、いわゆる外国人の「集住地域」としても知られる。

ブラジルなど南米からの日系人とその子孫が多いことが特徴だが、市内で暮らす住民の出身国・地域は、フィリピンやベトナム、中国、ペルーなど、日本を含めて90近くにのぼる。

浜松市民のうち外国籍者は2.5万人強(今年7月時点)を数え、在留外国人273万人(昨年末時点)の大体100人に1人が浜松市民という計算になる。外国人住民の割合は市全体の3%を超えており、全国平均(2%強)に比べてかなり高い。だが、かつては4%を超えていた時期もあった。

減少の大きな理由は2008年9月のリーマンショック。派遣切りを含む大量失業で、多くのブラジル人らが止むを得ず帰国を決めた。外国人住民の数は同年11月(33,702人)のピーク後に急減したが、近年はフィリピンやベトナムなどアジア諸国の人々を中心に再び増加傾向にある。

市内7区のうち浜松駅周辺の南区(4.39%)や中区(4.03%)で特に外国人住民の割合が高い。逆に山間部の天竜区(1.42%)は全国平均を下回る(今年7月時点)

浜松の際立った特徴が、いわゆる「身分・地位」カテゴリーの在留資格を持つ人々の多さだ。このカテゴリーには「永住者」や「定住者」、「日本人の配偶者等」など、更新が要らない、あるいは更新回数に制限の無い5つの在留資格が含まれる。浜松はその割合が全体の8割近くを占めており、全国平均(53.7%)よりもはるかに高い。

これが意味するのは、浜松が外国人の「集住地域」でありかつ「定住地域」でもあるということだ。90年代以降に加速した国家主導の外国人受け入れの中で、実際に「移民社会」を構築してきたのは、住民としての外国人、そして彼らと向き合ってきた地域の人々自身だった。

そんな浜松で1982年に創設されたのが浜松国際交流協会、略してHICE(ハイス)。HICEは現在、浜松市多文化共生センター、浜松市外国人学習支援センターという二つの施設を運営しているが、進む移民社会化の現実を前に、「不就学ゼロ作戦」から「メンタルヘルス相談事業」まで、狭義の「国際交流」にとどまらない様々な事業を展開してきた。

今回ご縁あってお話を伺ったのはHICEで働く松岡真理恵さん。松岡さんは2006年のHICE入職以来、13年以上に渡って浜松の「多文化共生コーディネーター」として奔走してきた。

「雇用の調整弁」という社会経済的な位置づけ

――松岡さん今日はよろしくお願いします。浜松のことについて色々とお話聞かせてください。

はい。よろしくお願いします。浜松市の外国人受け入れの経験というのは、主に南米からの日系人の受け入れ30年の経験です。

彼らは身分系の在留資格で来日した方達なので、技能実習生や留学生と違って「受け入れの主体」が明確ではありません。だから「生活の場」としての自治体が、生活者、市民として対応してきたということなんです。

市としては同じ市民なので普通に対等に対応しますよということで、義務も権利もどちらも市民として、ということではあったわけです。ただ同時に、彼らは社会経済的な位置づけとしては「雇用の調整弁」としての労働者だったので、非常に不安定な雇用の状態に置かれてもいる。

――同じ「市民」であっても、実際には社会経済的な位置づけに大きな差があったということですね。

浜松はブラジルの人が多かったし、派遣会社を通して働いている人がほとんどでした。リーマンショックが起きてすぐ、ここ(注:浜松市多文化共生センターのこと)に「ワンストップ相談コーナー」が開かれたんですが、失業した外国人が一気に押しかけました。朝来ると、50人ぐらいがブワーと待っていて、整理券を配って、それでも「今日は順番が回ってこない人もいるな」という感じでした。

派遣会社の寮に住んでいた人も多かったもんだから、派遣切りによって家を失ってしまう。車の中で暮らしている方も実際に目にしましたし、ホームレスの方にうちの職員が会いにいって事情を聞いたりもしました。

――当時のワンストップではどんな相談を?

ハローワークと労働基準監督署の窓口とが一緒に入ったんですね。仕事探し、それから雇用保険のこと、あとは住宅のこととかいろんな話がありました。とにかくたくさんの人が押しかけて、当時は浜松でも年越し派遣村が行われたり、切羽詰まった雰囲気でした。

外国人の社会経済的な位置づけに目をつぶっているときには、例えば地域のルールも守ってください、自治会にも参加してください、教育もしっかりやってください、何でそれができないんだろう、という感じでした。

けれど、リーマンショックのときに、彼らにそれが「できない理由」が明らかになった。本当はみんな分かっていたはずなんですけどね。結局のところ雇用が不安定なので、結果として例えば引越しも多いし、あるいは子どもの教育よりも仕事が優先されてしまっていた、というわけなんです。

――リーマンショックを機に改めて現実を突きつけられたと。

リーマンショック後には、派遣より直接雇用の方がいいとか、日本語もできた方がいいとか、そういう形で意識が変わった部分もあります。ただ基本的な構造は変わっていないと思います。

直接雇用と言ってもいわゆる正社員より契約社員の方が多い。でも本人はそれがよくわかっていなくて、直接雇用だから正社員だと思い込んでいたりもする。聞いてみるとボーナスがなかったりするので、それ違うんじゃないの?という話になったりします。直接雇用でも契約期間が3ヶ月や6ヶ月という短いものを繰り返しているケースが多いです。

――今も「雇用の調整弁」という構造は変わっていないということでしょうか。

それほど変わっていないという感覚です。ただ、少しずつ変わっている部分もあります。若い世代に「日本生まれ日本育ちの子」が出てきていて、中には、日本の子と変わらないルートに乗ってというんですかね、大学を出て、スズキとか、いわゆる一流大企業に勤める子も出てきている。

ただ、やはり格差がすごくあって、高校でドロップアウトしてしまうことも多い。外国籍の子の高校進学率自体は8割を超えているんですが、そのうちの半分弱が定時制という現実もあります。同時に、南米系の日系人の中ではすでに高齢化問題も始まっている。

進む定住化とソーシャルワークの必要性

――逆に2008年で帰らなかった人も多いですよね。

そうですね。リーマンショックの後、「定住者」の在留資格の人がかなり減ったんですが、「永住者」の在留資格を持っている人はそんなに減っていません。家を買って住んでいく人も多くなっています。

ただ、家を買ったから暮らしが安定しているというわけではなくて、結局ローンを火の車で回している人がとても多い感覚です。例えば、子どもの部活の部費を出し渋るとか、合宿に行くために必要な3万円が出せないとか、そういう話も多くあります。

――それは貧困の問題ですよね。

でもなかなかそういう風には周りは見ないんですね。何かの問題を抱えている人は色々な問題を複合的に抱えてしまう。1、2年だけここにいるということではなくて、長く暮らしているからこそありとあらゆる分野の問題が出てきます。

例えば、子どものメンタルヘルスの相談で最初は来ているんだけれども、実はお父さんが失業していて、お母さんもメンタル的に参っていてというケース。しかもそこにビザの問題が重なっていたりもする。だからこそ、今すごく思っているのが「ソーシャルワーク的な機能」が必要だということです。

――問題が複合的だからこそソーシャルワークが必要になってくる。

HICEの場合には、ある意味専門性はないんですね。弁護士でもなければ、行政書士でもない。ここの組織で何か手続きができるわけでもなければ、お金がもらえるわけでもない。でも、うちは例えば国際課と教育委員会というような行政の縦割りがない。だからこそ何でもやれます。ニーズがあれば何でもやるという姿勢です。

私たちに何ができるかと言ったら伴走すること。付き合う、つなぐ、共感するというのかな。色々なところをたらい回しにされて、最終的にここに来るということがよくあります。そうすると何を求めてるかっていうと、気持ちをわかってほしいということ。そう言わなくても、話を聞いていくとそういう風に感じることがあるんですね。

様々な問題を抱えて自分でも整理ができていない人は、専門の相談先につないで、弁護士に「こういう手続きが必要」と言われても、自分では行けないことがある。だから一緒に付き添って、「今こう言われたから次はこんな感じで対策を立ててやろうね」って一緒に考えてまた次に進む。問題の整理を手伝って、ある程度の解決まで一緒にやる、という感じです。

――情報提供よりもっと深い関わりですね。

そうです。私たちももっと勉強しないといけないということを最近ひしひしと感じています。ソーシャルワーク的に動くためにはたくさんの知識が必要とされる。今はその都度その都度調べながら必死でやっています。

――以前に比べて相談の質が変わっているということでしょうか。

はい、前より大変な相談が来るようになったと思います。逆に相談の数自体は実は減っているんですね。

というのは、浜松では例えばポルトガル語の通訳も今はたくさんいるし、HICEがソーシャルワーク研修など色々な研修をやっているので、色々な場所で相談ができるようになってきています。宗教団体でソーシャルワーク的な活動をしているところもある。結果としてうちに来る軽めの相談が減っています。

だからこそ、ほかのところで手に負えなくなってしまった場合にうちに来たりするんです。私たちは本当にどうしようもないケースでも、できるだけ解決に近いところまで、気持ちが納得するところまでやっていく。

――松岡さんが言うソーシャルワークと、政府が今打ち出しているワンストップセンターとでは少し違う印象を受けました。

国が言っているワンストップって、窓口で、この場で、ということなんですね。でも実際には窓口で一回話すだけで解決するものばかりではない。どこかに一緒に行ってあげた方がいい場合もあるし、そもそもここまで来れないという場合もある。

メンタルヘルスの関係で入院してる人から「病院まで来てほしい」と言われたこともありました。自治会からの相談とかもあるんですが、とにかく外に、現場に行かなきゃいけない。

――窓口だけでなくアウトリーチが必要になってくるわけですね。

そう、アウトリーチがすごく大事だと思うんですよね。ワンストップ相談を本当にやろうとしたら車も必要だし、ポケットWi-Fiも必要になる。だけど、そういうことが(今の政策では)あまり想定されていないようです。

それから、外国人側からの相談ばかりが想定されているという問題もあるのかなと思います。日本人側からの相談も色々あって、それもすごく重要かなと。

日本人側の不安にも応える

――日本人側からの相談ですか。

例えば、交通事故のケースがありました。留学生が乗っていた自転車とぶつかってしまった日本人からの相談です。過失割合は留学生の方が高かったみたいなんですが、話を聞いていくと、「留学生」と言っても大学生なのか、日本語学校なのか、そういうことすら本人に何も確認していない。要は直接接触したくないから間に入ってほしい、不安でしょうがないという感じなんです。

――なるほど…。

私たちからすれば留学生なんか一番身元保証がしっかりしています。日本語学校も通訳も出てきてくれるみたいで、じゃあ直接話せばいいじゃないですかって。だけど、いやいやいやっていう感じで、すごく及び腰なんですね。とにかくものすごく不安でそれをどこに持って行けばいいかよくわからなくてここに来たんだというわけです。

結局その後、ここの弁護士相談に両者を呼んで、同席して、弁護士から「こういう順番でこうしてああして」と説明してもらい、みんなで了解するような席を作りました。顔を合わせて、一応電話番号とかも交換して、となったんですけど、そういう場づくりをする必要があったんですね。こんな風に、日本人側がものすごく漠然とした不安を抱えているのかなと思うことがあります。

――ほかにも日本人側からの相談はありますか?

自治会関係の相談が多いし重たいですね。前々からあるパターンは県営住宅や市営住宅などの公営住宅からの相談なんですが、最近は今まで外国人が住んでいなかった古い地域からの相談が増えています。一戸建てを買った外国人が地域に住み始めていて、自治会活動もちゃんとやってほしい、だけどなかなかうまくいかないという。

自治会の方々も色々努力してアピールしているんだけれどもなかなか通じない。例えば、家に行ってもいつもいないとか、日本語がわかる人は一人しかいないんだけど、その人は夜遅くしかいないとか。資料を翻訳して持っていっても読んでもらえないとか。バーベキューのスケールが違うというんですかね、煙の苦情もありますね。

「遅い時間はダメ」と言ってもそれが21時までなのか、23時までなのかは人によって違う。でもそれに気が付かずに例えば「迷惑にならないようにしてね」という言葉で伝えてしまってうまくいかない。マナーは人によって違うということに気が付かないとうまくいきません。

――当人間で解決できる関係性を作るのが難しいということでしょうか。

努力はしているのだけどなかなかうまくいかない。それで疲れてしまうという方もいます。

もちろん中には、全く会いに行ってみもしないで、まずうちに来て、「隣に、町内に引っ越してきたんだけどどうしたらいいんですか?」と聞いてくるような方もいます。「まずはとにかく話してみてください」と伝えたら「意外と日本語喋れました」と言って解決するようなパターンもあるんですけどね。

福祉住宅化と共益費の問題

――外国人側からの相談だけを想定していてはうまくいかないという意味がよくわかりました。

そうなんです。それと公営団地ではやはり「福祉住宅化」という問題があって、特に共益費の徴集のことについてぜひお話したいです。

共益費というのは、街灯とか浄化槽の清掃などにかかるお金なんですが、公営住宅法で家賃と敷金以外は県や市が集めちゃいけませんということになっているんですね。もっとも近年では共益費の徴収までは禁止していないという解釈が一般的で、条例を定めて共益費を徴収している県も市もあるのですが、それは特例扱いなんですね。だから、まだほとんどの公営住宅では自治会の人が徴収している。

そうすると払う人と払わない人が出てきて、それが外国人の問題かのように言われることもあるんですが、本質は外国人の問題じゃないと思うんですよ。

――どういうことでしょうか。

公営住宅は高齢化も進んでいるし、同じ人がぐるぐると何度も自治会の役員をやっていて、ものすごい大変な思いをしていたりします。実は決算書もうまく作れないような感じのところもあるんですね。そうすると共益費についても「面倒なことは聞かずにとにかく払って」みたいな感じだったりする。

いや、「このお金は何のお金ですか、どう使われているんですか」って質問にちゃんと答えられなければ払ってもらえないのは当たり前じゃないですか、と思うんですよね。でも「そこは突っ込まないで」となってしまう。

――使い道が不透明なお金は確かに払いたくないですね。

しかも、例えば浄化槽の清掃を業者に頼んだりということもしているので、自治会が何百万円というお金を持っている。だからまあ、使い込みもあるんですよね、本当に。それだけのお金が集まっちゃうもんだから、ちょっと借りて後で返せばいいやって。それで返さなければ実質的には使い込みですよね。

結局そういうことで揉めていたりするんです。でもそれって外国人の問題じゃないじゃんと思うわけです。合理化すればみんな助かると思うんですけど、お金の問題でキリキリしてしまっている。

――誰も自治会の役員をやりたがらなさそうですね。

やりたくない。「自分がやったら疑われるからやりたくない、お金を触りたくない」という外国人の方もいます。

県も問題だと分かっていると思うんです。でも県が徴収するとなると、条例の制定など色々大変な手続きが必要になってくるので、なかなかやりたがらない、ということなんだと感じています。愛知県では県営住宅自治会連絡協議会の長年の活動が実って最近になって県が集める方向で具体的に少しずつ動き出していると聞いています。

結局誰がやるのか

――本当に幅広い仕事ですね。

こういう話をしているといつも抜け落ちてしまうんですが、何か「やらなきゃいけない」ということを打ち上げても、結局「誰がやるんですか」という問題があります。つまり、こういう仕事の専門性を認めて適正な予算をつけていくということがなかなか認められていない。

以前ここに政治的に力を持った方が来たことがあって、行政、企業、NPOをみんな集めて、市長も来て、色々と意見を聞く会が持たれたんですけど、行政と企業の社長はみんな男性でした。一人だけ女性の社長がいたかな。学生団体は男女が混じっていたけれど、NPOと国際交流協会の出席者はみんな女性。もう、典型的ですよね。もうからない仕事には女性しかいない。

誰もそのことについてはノーコメントなんだけれども、明らかにそこにお金を投入していないということがわかる。まあ「女と外国人は安く使え」っていう典型的な職場です、本当に。そういうことに私たちも目をつぶって一生懸命働いてきちゃったんですけどね。最近はそれじゃいかんと思っています。

――浜松ですら専門性に対する対価が十分に払われていない。

はい。最近は正規の職員を少しずつ増やしていて今8人です。でも、正規でもお給料はすごく安いですね。例えば臨時雇用から非常勤に上がって、それからようやく正規に上がった人でも大卒初任給という設定。これまで数年間やってきたんだけど、という感じですね。

今は行政自体も非正規化が進んでいて、だから私が言っていることは時代の流れと全然逆行することなんですけど、でも必要なのでどうすればいいのかなと。

――ここを解決しないと次の段階に進めなさそうですね。

やはり外国人を「雇用の調整弁」としての単なる労働力ではなく丸ごとの人として受け入れていく覚悟が必要だと思っています。ですが、今は社会統合のための法的根拠が全くないので、予算がなかなかない。あっても気まぐれで、それでは困るわけです。社会統合政策の根拠としていわゆる「多文化共生法」の整備が必要だと思います。

「多文化共生」という言葉がいいかどうか、ということはあるんだけれども、「外国人法」とか「移民法」とか言ってしまうと日本人にとって他人事になってしまうのではないかとも思っています。社会福祉法と同じように「地域の多文化共生は地域で担う」、そこがやっぱり大切です。

「日本人」と「外国人」という二分法的な言い方や考え方ってどうしても根強いんだけれど、現実はもっと先を行っています。外国籍だけれど「日本生まれ日本育ちの子」もたくさんいます。境目は本当にグレーです。

外国人のためだけではなくて、どんな人も生きやすくなるように調整する。そのためにみんなが少しずつ妥協する。みんなが少しずつ認め合う。作りたいのは「誰もが生きやすい社会」だと私は思っています。

同僚の鈴木さんと

取材後記

HICEの松岡さんにお話を伺った。正直、ここにはまとめきれないほどたくさんのお話を伺った。というか、HICEが展開する事業を一つずつ聞くだけで、時間がいくらあっても足りなかったのだ。

試しに、10個ほど挙げてみよう。

  • 多言語相談(含むメンタルヘルス相談、法律相談・税務相談)
  • ソーシャルワーク研修
  • 日本語教室
  • 日本語ボランティア養成講座
  • 外国人の子どもの不就学ゼロ作戦
  • 外国にルーツのある若者のキャリア支援(定時制高校への出前授業など)
  • 就学前の子どもと保護者の子育て支援
  • 地域共生推進
  • 防災・災害時多言語支援
  • 市民活動支援

これでも全体の一部に過ぎない。このインタビューで取り上げられたのはそのさらに一部である。ただそれだけでも、松岡さんたちが浜松で果たしている役割の大きさを分かっていただけたのではないかと思う。

「多文化共生」と口で言うのは簡単だ。けれど、実際にはこれだけの事業が必要になる。そしてそれらを最前線で担う専門職の方たちが必要になる。当然、お金も必要になる。それは多様な人々が一緒に暮らしていくために欠かせないお金である。ではそのお金を負担すべきなのは一体誰なのか。

これまで、日本の「移民政策」は、外国人労働者の受け入れ拡大を進めながら、彼らを住民として支えるための「社会統合政策」をおざなりにしてきた。しかし、いつか帰る「雇用の調整弁」であることを期待された人々の多くは日本に残った。そして家族を作り、地域に定住した。

その結果として、浜松のような集住地域を中心に、自治体や地域社会、エスニックコミュニティ、支援団体、学校、企業など、地域の様々なプレーヤーが互いに連携し合いながら、必死に一つひとつの「移民社会」が構築されてきたのだ。

松岡さんから聞いたお話を振り返っていたとき、「やはり浜松は進んでいるな」という感覚と、同時に「浜松でもまだここまでか」という感覚、これらが同時に押し寄せてきた。

HICEの正規職員はわずか8人。浜松を含む日本全国の地域がもう一歩先に進むには、各地域の努力だけではなく、国全体としての踏み込みがもう一段、二段と必要になってくるのは間違いない。問われているのは「この国がこれから一体どんな国を目指していくのか」という極めてシンプルなことではないだろうか。

私たちは日本人を含む多様なルーツを持った人々が生きやすい社会を「本当に」作りたいと思っているのか――。もしそうならば、国としてその姿勢を根拠法という形で示し、地域を走り回る専門職の人々に対して、そして必要な事業に対して、しっかりとお金を使っていくべきではないか。

私たちは今こそ、この社会の「理想」について語るべきなのだと思う。

CREDIT
望月優大|取材・執筆
田川基成|取材・写真

TEXT BY HIROKI MOCHIZUKI

望月優大
ニッポン複雑紀行編集長

1985年生まれ。日本の移民文化・移民事情を伝えるウェブマガジン「ニッポン複雑紀行」編集長。著書『ふたつの日本 「移民国家」の建前と現実』(講談社現代新書)。代表を務める株式会社コモンセンスでは非営利団体等への支援にも携わっている。@hirokim21