JARレポート

今なら「何でもやれます」と言えるーーJARインターン3年の軌跡

2022年2月から2025年3月まで、難民支援協会(JAR)支援事業部インターンとして活躍された地戸さんに、インターン経験について話を聞きました。大学の学部2年から修士を卒業するまで、勉強・研究とインターン活動の両輪から「難民支援」に向き合いました。「難民支援のどこに自分は関わりたいか」を模索した約3年。この春からは、インターンを経て見つけた開発支援の分野で働いています。

一つ屋根の下にあるさまざまな難民支援

ーーまず、インターンを経験して良かったことを教えてください。

「難民支援」といっても、本当に多様な関わり方があることを知れたのが一番の収穫でした。私は、将来、難民支援に携わる仕事がしたくて勉強を続けてきました。でも、国際機関、政府、NGO…どんな立場で関わるのが自分に合っているのか、正直わからなくて。それで、「まずは支援の最前線を見てみたい」と思い、JARでのインターンをはじめました。

実際にインターンをしてみると、難民を直接支援するだけでなく、政策提言、広報、資金調達、組織管理など、さまざまな業務があることがわかりました。一つ屋根の下なのにやっていることはぜんぜん違う。インターンを経験して、それらが全部、難民支援につながっているのだとよくわかりました。

目の前の難民に向かっているだけが難民支援ではないんですよね。大きな課題に取り組むには、やるべきことはたくさんあって、JARに関わる一人ひとりが力を合わせて、奮闘しているのだと。特に、日本では、JARが取り組んでいるような制度を変える働きかけが必要だということを痛感しました。

ーー逆に大変だったことは?

一番大変だったのはインターンになったばかりの頃です。コロナ禍で一時停止していたインターン採用が再開されたタイミングで、当初はインターンが私一人だったんです。入国制限の緩和で、来日外国人が増え、JARにも連日多くの来訪者がありました。支援の現場は本当に忙しくて、毎日バタバタでした。

難民について少しは知識がありましたが、人道支援の現場ははじめて。実践で覚えることが多く、最初は戸惑うことばかりでした。それでも、スタッフの方の後について回り、指示される前に動き、わからないことは質問し、少しづつ慣れていきました。

人道支援の世界は、時間で区切られたデスクワークとは違います。相談にくる難民一人ひとりが違う事情を持っていて、その場の状況に応じた対応が求められます。同時に、チームのなかで、自分がどういう動き方をしたらいいか、常に考えながら業務にあたりました。バイタリティを試していただいたおかげで「何でもやれます。粘り強いです!」と今は胸を張って言えるようになりました。

ひっきりなしに鳴る電話 ーー 郵便局から救急隊員まで

ーーどんな業務を担当しましたか?

私は支援事業部のインターンだったので、日々の業務の中心は、難民の方や支援関係者からの電話対応でした。

はじめて電話をくださる難民の方には、いろいろな配慮が必要なので緊張します。何に困っているのか、どんな支援を求めているのか、来日した経緯などを簡単に伺います。特に気をつけていたのは、難民申請をまだしていない方からの電話です。難民申請をして、在留資格の更新をしないと、在留資格が失効してオーバーステイとなってしまいます。それは絶対に避けたいので、手続きにかかる時間を見越して相談予約の日取りを決めなくてはいけません。

スタッフも最終確認をしますが、訪問予約の調整はインターンの仕事です。電話を取る際には必要な情報を短時間で聞き取るなど、柔軟な対応力が求められる仕事だったと思います。公衆電話からが最も多いのですが、途中で切れてしまっても折り返すことができないので、緊張感がありました。

電話はひっきりなしにかかってきます。行政や郵便局、銀行からも多いですね。「そちら(JAR事務所)の電話番号を持っている外国人の方が窓口にいて、銀行口座を開きたいと言っているようなのですが、日本語や英語でコミュニケーションがとれなくて、困っています」といったような内容がよくありました。

救急隊員からの電話を受けたこともありました。在留資格が数か月で保険がない難民申請者が事故にあって、搬送を迷っているという問い合わせでした。在留資格によって、受けられるサービスが違う現実を目の当たりにした事例です。

他には、病院やシェルターに行く難民の方への同行もありました。難民の方がその日泊まる宿泊先探しもインターンの業務です。来日したばかりで土地勘もない方々ですが、スマホを使って駅の乗換や、道順の調べ方を伝え、できるだけご自身でできるようサポートします。もちろん、ケースバイケースで対応する柔軟性が必要です。文字が読めないなど支援が必要な方には、その方にあった形でやり取りします。

感情を揺さぶられた難民との出会い

ーー事務所での最初の聞き取りもインターンの仕事ですよね。どんな経験でしたか?

不安、怒り、悲しみなどさまざまな感情をもっている方が多かったです。私の方も感情が揺さぶられることがありました。

日本に来たばかりで、JARという団体を信頼していいかもわからないなど不安を抱えて来訪する方もたくさんいます。政府からの迫害を逃れてきている方からは、「政府機関ではないのか」と聞かれることがよくありました。「JARは非営利団体で政府機関ではない。許可なく外部に情報を共有しないので安心して欲しい」ということは最初に必ず伝えます。

「あなたの国に戻れない理由を教えてください」という質問は避けられないのですが、それを聞いた途端に泣き出してしまったり、思い出したくない記憶を掘り起こしてしまったりすることはありました。事前に、「答えたくないときは答えなくて大丈夫」と伝えても、酷な質問をしているなぁと思います。難民の方に寄り添いたいけれど、迫害のおそれについても語ってもらわないといけない状況は、こちらの気持ちも影響を受けます。

「日本なら受け入れてくれる」ーー胸に残った難民の言葉

ーー印象に残っているエピソードはありますか?

たくさんありますが、特に忘れられないのは、アフリカ出身の女性の話です。部族間の紛争があり、敵対している部族の男性から性的被害を受けた方でした。1度だけでなく、助けを求めて逃げた先でも、支援と引き換えに性行為を強要された経験を持つ方でした。そこからも徒歩で必死で逃げたとおっしゃっていました。JARの事務所に来た時から泣いていたその理由が、後でわかりました。

同性愛者の方の話も印象に残っています。「自分が同性愛者であることを認めてもらえないのが悲しい」とおっしゃるんです。その方は、同性愛者であることが理由で暴力や迫害につながる国の出身でした。そんな状況に置かれていたにもかかわらず、自分を否定せず、「日本社会なら受け入れてくれる」と信じて来日したのだと教えてくれました。

JARの相談者で一番多いのが、アフリカ出身の単身男性です。母国では安定した暮らしをしていた人も多く、スキルや学位があっても日本で十分に活かせない現実に、戸惑いや苦しみを抱えていました。経済的にも精神的にも自立する基盤が少ない日本で、自分が「難民申請者」という扱いにあることが受け入れがたいという人の声を多く聞きました。

新しいインターンに引継ぎをする様子
新しいインターンへの引継ぎは最後の仕事だ

花が咲くよう水を与えてくれたインターン経験

ーー難民にとってJARはどんな存在だと思いますか?

人によってとらえ方は異なると思います。思うように支援を受けられず「頼れない」と感じる人もいれば、着の身着のままで来て、難民認定を得ることができた人にとっては、日本での生活の最初から伴走してくれる拠り所だと思います。

ーー人や資金などリソースにには限界があり、すべてのニーズに答えられないのが現実です。

そうですね。でも、JARができない分は、他団体と連携したり、外部に頼ることを大切にしていることを知りました。あきらめずに前進しようとするスタッフの方の姿には、純粋にすごいなと思います。

ーー最後に、JARのインターンを考えている人へのメッセージを。

受け身ではなく自ら動くことが好きな人には、JARのインターンは合っていると思います。必要なことを率先してできるかどうかを試されますし、同時に、試させてもらえる場だったと思います。

私にとって、難民支援にいろいろなキャリア選択があると知れたことはかけがえのない経験でした。難民に携わる仕事がしたいーーそんなぽわんとした苗木が芽を出し、徐々につぼみになり、花開くよう、水を与えてくださったスタッフの皆さんには感謝の気持ちでいっぱいです。

ぜひ、難民支援に関心のある方は、ぜひ応募してみてください。JARでの経験は、きっと大きな糧になると思います。

▶難民支援協会インターンの応募はこちらから。