活動レポート

自立の道のりに寄り添う~来日直後から就労支援まで~


頼るあてもなく日本に逃れた難民の方が、経済的に自立するために職を探し、働き続けることは簡単ではありません。就労が認められてもなかなか就職先が見つからなかったり、困難な状況で身心を患い、就労自体が難しいケースもあります。

JARでは、来日当初から一人ひとりへのカウンセリングを行い、厳しい生活を支えながら、就労が可能になる見込みのある方を対象に就労支援を行っています。3か月間の「就労準備日本語プログラム」を受講して働くための日本語を学んでもらい、ご本人と相談しながら就職先を探し、職場となる企業と連携して円滑な就労が可能となるよう数年にわたってサポートし続ける、息の長い支援です。昨年度は54人の就職を実現しました。

JARの支援を受け、アルバイトを掛け持ちして働きながら日本語やITの勉強を続け、念願だったIT業界への就職を実現した方がいます。2015年に来日した、アフリカ出身のアチュさん(仮名)です。就労準備日本語プログラムを人一倍熱心に受講した後、アチュさんは就労支援スタッフ・寺畑との面談で、自らの展望をこう語りました。「今お金を稼げるかどうかだけでなく、長期的なプランを考えたい。アルバイトをしながら勉強を続け、スキルを得て安定した仕事に就きたい」。多くの難民の方の就労を支援し、同様の希望を聞いてきた寺畑は、「それは並大抵の努力ではできない」と厳しい現実を伝えました。その一方で、希望を叶えられるよう就職活動の支援を開始。JARが主催する難民の方の雇用を考える企業を集めたジョブフェアなどで条件に合う職場を探し、同時に無料で日本語やプログラミングの勉強ができる場にも通えるよう支援しました。

アチュさんは弁護士の紹介などJARの支援を受けて難民申請を続けながら、飲食店などで日中アルバイトをし、夜は日本語学校などに通う日々を2年以上続けました。そして来日から3年後、ついに希望していた企業への就職を実現しました。就職先では実力を認められ、もし難民認定が得られなくても何とか在留を続ける道がないかと熱望されているそうです。

強い意志で夢を実現したアチュさんですが、振り返れば、来日当初の日々は辛く過酷なものでした。初めてJARを来訪した時は所持金がつきそうになり、ホームレスの状態だったと、支援事業部マネージャーの新島は語ります。JARのシェルターに入り、その後は幸い政府の生活支援金も受給できましたが、一時期は体調を崩し、JARスタッフが付き添って病院で治療を受けていました。その時期を支援事業部のスタッフが支え続けていたからこそ、その後の就労支援を始めることができたのです。日本に逃れた難民の方が経済的に自立するには、来日直後の時期をしっかりと支え、本人の希望や意志を尊重しながら、その方が持つ力を引き出し、寄り添い続ける息の長い支援が必要です。JARはこれからも、各部署の連携を通じて、一人ひとりの道のりに寄り添い続けていきます。

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新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受け、就労準備日本語プログラムは現在オンラインでの継続を試行していますが、社会全体で求職者が増えるなか、就労許可があっても日本語の能力などを理由に今まで以上に仕事が見つかりづらくなっています。就職への影響は長く続くことが予想され、仕事が長く決まらず生活に困窮する難民申請者が徐々に増えていく可能性があります。また既に就労した難民申請者からも業務時間の短縮から、新たな働き口の相談が増えています。引き続き、生活支援と並行して自立の道のりに寄り添っていきます。