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活動レポート

この冬の緊急支援にご協力ください-フレッドさんの話

新島 彩子
支援事業部マネージャー

難民支援協会(JAR)で直接支援を担当している、新島彩子と申します。
支援しているフレッドさん(仮名・20代)をご紹介させてください。
彼がスーツケースを引いてJARにたどり着いたとき、すでに所持金はほとんど尽きていました。しかし、公的支援につながるまで、早い人でも1ヶ月はかかります。不運にも、ホームレス状態に陥った方のために私たちが確保しているシェルター27部屋も満室になったばかりでした。

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母国では政治的な意見を理由に拷問まで受け、命の危険を感じて出国を決意。なんとか機会をとらえ、最短で観光ビザを取得できた日本へ逃れてきたフレッドさんを待ち受けていたのは、野宿という厳しい現実でした

難民申請や公的支援の申請などに最低限必要な交通費や食費として15,000円の緊急支援金を支給しましたが、1回きりしか渡せないことをお伝えすると、少しでも計画的に使おうと考えたフレッドさんは、品川にある入国管理局へ徒歩で向かったそうです。最短でも片道10km・2時間以上かかる道のりです。
土地勘もない中、やっとの思いでたどり着くも、難民申請の手続きに必要な写真をスーツケースに忘れたことに気づき、泣く泣く歩いて戻り、結局二往復したといいます。

電車に乗ることさえもためらう。
日本に逃れてきたばかりの人が直面する困窮の度合いは、それほど深刻なものです。

日中はJAR事務所で食事・休息をとり、過酷な天候のなか近くの公園で夜を明かす毎日。帰る場所がないと知っている相手に、「また明日。どうか気を付けて夜を過ごしてね」と伝え、事務所を閉めなければならないのは、いつまでも慣れない、心の痛む瞬間です。

帰りの電車のなかで、もし私が、誰も知り合いもいない、言葉も通じない、何も知らないところで、ひとりぼっちで野宿をすることになったら...と目をつぶって想像してみます。そして、改めて思います。今、私が乗っているのは「帰り」の電車なのだと。

私には帰る場所があり、寝る場所があり、食べたいものを食べられる。
一方、彼にとって、帰る場所はこの世界のどこにもない。
帰れる国も無ければ、逃れてきた日本で帰れる部屋もない。

自分自身の境遇とのギャップに、虚無感が襲ってきます。

フレッドさんが最終的にJARのシェルター入れるまでには2週間かかりました。ようやく腰を落ち着けて、難民申請の手続きやこれから生きていくための日本語学習に集中できるようになりましたが、先日事務所を訪れた際には、涙を流してこう仰いました。

「JARに来るのは幸せな気持ちになる。でも、公園を見ると思い出して辛くなります...」

母国のお母さんとは、携帯電話の無料通話アプリで時々電話をするそうですが、日本で野宿をしていたなどとはとても言い出せず、うまくやっていると気丈に振舞っているそうです。

日本に逃れてきた方々が初めて迎える冬。
私たちにとっては毎年の越冬支援でも、今年逃れてきた方にとっては初めての経験です。

資金も人手も限りがあるなか、「できたらいいなと思うこと」、「すべきこと」、「できること」の狭間で、この3つが重なり合うギリギリはどこなのか常に探り、重なり合う部分ができるだけ大きくなるようベストを尽くすしかない。そう自分を奮い立たせて、日々支援にあたっています。

皆さまのご寄付で、来日直後から自立に至るまでの一人ひとりの道のりに寄り添う活動を続けることができます。
寒さがピークを迎える前に、お力を貸していただけないでしょうか。託していただいたご寄付は、今ここ日本で助けを必要としている難民の方々への支援に活かします。

書いた人

※ 記事掲載時のプロフィールです

(2019年12月19日掲載)

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