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活動レポート

日本に逃れてきたジョンさんの話-失いたくないもの

john_image_300.jpgアフリカのある国出身のジョンさん(仮名)は、母国では長年、教師をしていました。
野党支持者として政治活動をしていましたが、与党支持者からの暴力がエスカレートし、
命の危険を感じて日本に逃れてきました。

日本に逃れてきたのは、一番早くビザが出たという偶然の理由から。日本に知り合いはおらず、日本語もわかりません。
空港に降り立ち、とりあえず都内に出てきてから、持ってきたお金で安宿に泊まりました。
安宿とはいえ、物価の違いでジョンさんにとっては高額です。
はじめの3日でお金はつき、その後、1週間ほど公園で夜を明かしました。
道行く人に話しかけ、なんとかJARの存在を知り、先日はじめて事務所に来ました。


泊まる所がないというジョンさんでしたが、残念ながらそのときシェルターは満室。
やむを得ず、緊急支援金とサバイバルハンドブックをお渡しし、
空きが出るまで待っていただくことになりました。

元々、母国では教師という地位にあったジョンさんにとって、
路上生活を受け入れることは簡単ではありません。
危険からやっと逃れてきたにも関わらず、日本でホームレスになってしまうことを
想像している難民の方は一人もいません。
物理的な厳しさだけでなく、人としての尊厳を保つことすら難しい現実があります。

それでも路上生活に耐え、食事や相談のためにJARを訪れていたジョンさん。
忘れられない言葉があります。

逃れてきたジョンさんの全財産はスーツケース1つ。50キロ以上あるとても重いものです。
あまりに重いため、中身を尋ねたところ、見せてくれたのは、びっしり詰まったたくさんの本でした。
そして、こう言いました。

「難民となって色々なものを失ってきた。でも知識を失うことはない。
だから、重くても本は手放したくないんだ」

「難民」になるまで、彼らは、私たちと同じように仕事を持ち、家族を持ち、
生活を持っていた人たちです。難民となる過程で、身の安全と引き換えに、
さまざまなものを失わなければならなかったに過ぎません。
そして逃れた先で、人としての当たり前の生活を取り戻すため、
新たに人生を切り開いていかなくてはならないのです。
ふとしたこの言葉に、難民の本質が表れています。
ジョンさんはようやくシェルターに入ることができ、難民申請の結果を待っています。

結果が出るまでの期間は平均3年。その間のセーフティネットは十分ではありません。
JARは生活に必要な物資を提供しながら、カウンセリングを通じて、この現実を受け止めてもらい、
自身の力を出して生きていけるようサポートしています。

507名の難民スペシャルサポーターに支えられ、一人ひとりに寄り添った支援をしていますが、
まだ十分ではありません。たくさんの方に支えられることが、難民が日本で生き抜く力になります。

1日50円からの難民スペシャルサポーターになってください。
こちらから

*写真はイメージです

(2014年8月1日掲載)

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