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活動レポート

ある日の手紙から-アフリカ出身男性の話

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「私にとって日本では難民支援協会(JAR)がすべてのよりどころでした。私には自身の状況を話せる相手がおらず、すべてを話せるのがJARです。宿泊場所がなく公園のベンチで過ごし、体の痛みに悩まされていたときに、助けてくれたJARのスタッフに感謝したいです。JARは私にとって日本での母親のような存在です。本当にありがとうございます。」
 アフリカのある国出身のダニエルさん(仮名)からいただいた手紙には感謝の言葉が何度も書かれていた。日本に逃れてきた多くの難民は、知り合いや頼れる先がない中、慣れない土地で少なくとも数か月以上(*)は、限られた所持金で今日泊まる場所、今日食べる物を自力で探さなければならない厳しい状況に置かれている。国内の難民支援団体が確保しているシェルター(一時的に宿泊できる施設)の数は急増するニーズに足りておらず、所持金が尽きてホームレス状態に陥る方が絶えない。このような状況を知っていただくため、ダニエルさんの経験を伝えることを了承いただいた。

*難民申請者を対象とした公的支援があるが、支給されるまでの待機期間が長期化しており、数か月間はかかるのが通常。公的支援は限定的であり、受給できない難民申請者も多数いる。

目立たないよう、リュック1つで

report1-01.jpgダニエルさんは母国での政治活動により政府の標的となり、父親は殺害された。自身の安全のために、国内で転居を繰り返しながら、国外に逃れる機会を常に探していたという。この夏、たまたま日本のビザがおり、外国での生活に不安はあったものの、迷わず出国を決意した。出国前に捕えられないよう、目立たない格好に気を遣った。当面は帰れないことが分かっていたので、持っていきたいものは沢山あったが、目立つスーツケースは諦め、リュックに入るものだけにしたと話す。服もジーンズ1本と上着を含めて3着のみ。持ち物があまりに少なく、後々困ったそうだが、無事に出国するためには仕方がなかった。日本に到着してからは、文字を含め、目にするものすべてが未知で面食らった。しかし、知り合いや頼れる先はない。生きていくための情報を探すため、インターネットで寝ずに情報収集を続けた。母国の状況も気がかりで調べたところ、自身の政党のメンバーが100人以上逮捕されたとの情報が飛び込んできた。「帰れない。ここで何とか生き延びるしかない」と改めて覚悟を決めたそうだ。インターネットでJARの難民専用フリーダイヤルを見つけ、すぐに電話をしたと話す。事務所までの乗り継ぎ方を聞き、その通りに四ツ谷駅を目指した。初めての外国で、電車も慣れず、人の波に乗って歩くのも一苦労で終始緊張していたという。事務所に入って、「初めてなのに、笑顔で迎えてくれて、まるで家に帰ってきたような気持ちになった。ほっとして涙が出そうだった」と当時を振り返る。

逃れた先の厳しい現実

report2.jpg事務所では、温かいお茶や食べ物、服がその場で提供されたが、残念ながらシェルターは満室で、泊まれる場所はしばらく案内できないと生活支援担当スタッフから厳しい現実を突きつけられた。「その言葉を聞いて、今度は本当に泣いてしまった」と話す。まだ来日して間もなく、全財産は1万円弱残っていたため、お金が続くまでは、スタッフと探した一番安いホステルに滞在することにした。それからは毎日事務所に電話して、自分の状況を報告、相談し、食事はJARから持ち帰ったもので済ませた。1週間、ホステルに滞在してお金が尽きたが、まだシェルターは空かず、ついにホームレスとなった。母国では定職があったため、これまでホームレスになったことはない。肉体的な苦痛に加えて、ホームレスになった自分を受け入れるのも精神的に辛かったと話す。また、日本は夜でも比較的治安が良いが、母国では夜を外で過ごすことが非常に危険だったため、その感覚から、外で目を閉じて休むことはとてもできなかったという。しかし、他に選択肢がないダニエルさんは、JARが渡したサバイバルハンドブックを公園で熟読し、生き抜くためにできる努力をした。ファストフード店では100円のコーヒーで少し滞在できることや、24時間営業のファミリーレストランがあるといった情報も日本の生活に全く馴染みのないダニエルさんにとっては大きな助けになったという。路上で数日を過ごした後、JARからシェルターが空いたとの連絡を受けたときは、言葉に表せないほど嬉しかったと話す。約1か月間シェルターに滞在した後、公的支援の支給が決まった。

ダニエルさんはまだ来日して数か月だが、日本で自立していくための努力を惜しまない。「日本では認定がとても厳しいと聞いている。公的支援もいつまで続くか分からないので、安心はできない。でも最善を尽くして望みを持ちたい。日本語を勉強して、就労資格と難民認定を得て、日本で生活していきたい」と、すでに無料の日本語教室にも通い始め、その日も丁寧に書かれたひらがなの練習帳を見せてくれた。

「JARは私にとって階段のステップのような存在。先は見えないし、自分で動かなければ進んでいかないけれど、進むための方向性を示してくれ、一段上がるときにいつも力になってくれる。JARの支援者には心からお礼を伝えたい。私たちの姿は見えないかもしれないけれど、皆さんが送ってくださる支援金や服、食べ物はそれを本当に必要としている人に届いていて、皆さんのアクションが多くの人の厳しい生活を変えていることを知ってほしい。JARがなければ、私は今日まで生き延びられなかった。感謝の気持ちは書ききれなかったけれど、なんとか伝えたくて」と話してくださった。

残念ながら、この冬も難民にとって非常に厳しい状況が続いており、多くの方が今まさにダニエルさんのようなサバイバル生活を余儀なくされている。すでに複数の難民がホームレス状態にあり、早朝から事務所が開くのを待ち、事務所で軽食と仮眠をとって1日をしのいでいる状況だ。さらに冷え込むこれからの季節、凍死者を出さずに春を迎えられるよう、皆さまのご支援をもとに、シェルターや事務所での食料提供等、緊急支援を強化していく。

ダニエルさんの手紙全文はこちら

*冬の緊急支援のお願い
皆さまからの支えで冬を乗り越えることができます。
申請者の急増を背景に、この冬も多くの難民がJARを頼ってきています。
日本に逃れてきた難民が無事に冬を越せるよう、ご支援をお願いします。
ご寄付はこちらから

(2013年12月11日掲載)

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