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メディア掲載 : 新聞記事

2012年1月‐「安住を求めて―第三国定住の現場で」/朝日新聞

2012年1月16日から18日の朝日新聞の夕刊で、3回のシリーズにわたり第三国定住が取り上げられました。

1.迫害の恐怖 少し消えた

「犬のほえる終えがしても、身構えなくなった」

ミャンマーからの第三国定住のの難民として三重県鈴鹿市に暮らしている男性はそう言った。

政府軍が故郷の村に来たとき、犬がほえた。日本に来てから、当時の恐怖心がよみがえることが次第に減ったそうだ。彼は、少数派民族のカレン族の出身。ミャンマーではカレン族というだけ迫害を受ける。彼もその被害者であった。

18歳の時にタイとの国境を越え、メラキャンプへ。そこで出会ったカレン族の女性と結婚し、4人の子どもを授かった。

第三国定住に手を挙げたのは、子ども達にきちんとした教育を受けさせたかったから。昨春から5人の子ども達が鈴鹿市立椿小学校に通い始め、各国のあいさつ文が貼られている廊下の壁にはカレンの旗と「ウォーラーゲー」(おはよう)、「ターブル」(ありがとう)のカレン語が加えられた。

2.自立できる支援を模索

三重県鈴鹿市の農業法人では、職場適応訓練を受け、3家族が就職した。土曜の午後、そこの休憩所には、勉強している難民の5人の子どもと、地元の元小学校教員三浦尚子さんがいた。元々、農業法人理事の川森貴子さんが勉強をみていたのだが、農繁期の冬になると時間がとりにくくなり、市教委に相談して、三浦さんを紹介してもらったそうだ。
「難民の人も、私も本当に地域に支えられている」川森さんはそう語る。

日本語がわからない難民が、日本の生活に慣れるのは大変、定住には周りの受け入れる体制が非常に重要である。

今春から職場適応訓練が始まるカレン難民第二陣には自立をより施す研修にしながら、場合によっては地域で支援員を募集して充てる仕組みを検討している中で、鈴鹿市も自立に向けた努力が進んでおり、

川森さんの「定住は1年や3年の話ではない。せっかく鈴鹿に来てくれたのだから、子どもたちが将来やりたい道を模索でっきるような環境を最大限つくってあげたいんです。」という話で締めくくっている。

3.苦しくても 家族と共に

「日本の暮らしに不安を感じる」

千葉県の農業法人で半年間の訓練を受けた2家族は、その後雇用契約を結ばなかった。難民キャンプとはまったく違う農業のやり方や、往復2時間もかかる保育園通い、そんな壁に直面したからだ。

仲間の多い東京での暮らしを希望するものの、適当な住居も見当たらなければ、子どもの多い家族をが東京で暮らしていけるほどの十分な収入もない。そこで、日本の支援者は生活保護を受けることを提案したのだが、「日本政府のお金は使いたくない。働きたい」と拒んだ。

支援に携わったNPO法人難民支援協会の常任理事、石井宏明は「大家族を養いながら、都市部で住居を確保して暮らせるようになるのは大変だ」と指摘する。
また、「自立を前提とした受け入れであるならば、育児との両立も課題になる」と、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)前駐日大代表滝沢三郎さんが指摘。

家族連れだと、乗り越える壁は確かに多い。しかし、「もっともっと勉強したい、大学に行きたい」という子ども達の目は輝いていた、と締めくくった。

(2012年1月16日掲載)

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