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難民支援協会と、日本の難民の10年

第2回 アフガン難民の収容と変わりはじめた司法

世界中を震撼させた2001年9月11日の同時多発テロは、その後の国際社会に大きな影響をおよぼし、国家の安全管理の考え方をも著しく変化させました。日本では、難民申請中のアフガニスタン人たちが突然収容されるという形でその影響が表面化しました。収容の取り消しを求め、訴訟に持ち込まれたアフガン難民の収容問題は、難民本人にはとてもつらい経験となりました。しかしそれは同時に、日本の司法が「難民」に対する理解を示す第一歩になりました。また、3年目を迎えた難民支援協会(JAR)が活動の場を広げる契機となるとともに、難民を支援することの意味を改めて考えさせられた機会でもありました。事件の経過を追いながら、アフガン難民の収容事件の意義を振り返ります。

前例のない収容との闘い

s-map_edit_text.jpg この事件は、9.11同時多発テロから1ヶ月とたたない2001年10月3日、難民申請中の9人のアフガン人が突然、入国管理局(入管)によって一斉に摘発されたことから始まりました。入管や警察が、難民申請書に書かれた情報をもとに彼らの家にやってきて、不法入国の疑いで強制的に連行・収容したのです。これまでに前例のない事態でした。ほかの申請者からは「私たちも収容されるのだろうか」と動揺の声があがり、難民支援にたずさわる関係者の間にも大きな衝撃が走りました。説明もないこの収容に対し、JARやアムネスティ・インターナショナルは抗議声明を発表し、また日本弁護士連合会やUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)も懸念を表明、メディアもこの問題を大きく取り上げました。

 収容された9人を解放するためには裁判しかありません。立ち上がったのは、「一日でも早く解放してあげたい」「公平性を欠いたこの入管の対応を看過することはできない」という思いでアフガン難民弁護団を結成した児玉晃一弁護士をはじめとする総勢20人の弁護士たちでした。弁護団は訴訟に必要な書類を大急ぎで作成し、収容から10日後に裁判をおこします(収容令書の取消訴訟及び執行停止の申し立て)。それから約1ヵ月後、収容された9人のうち5人を扱った東京地方裁判所(地裁)民事3部は申し立てを認め、解放を決定しました。藤山裁判長(当時)はこの決定のなかで、5人が難民である可能性が高いと認めたうえで、そのような彼らを収容したことは難民条約第31条2項(「難民の移動に対して、必要な制限以外の制限を課してはならない」と定めている)に反すると明確に述べました。日本の裁判として、とても画期的な決定でした。一方、ほかの4人を担当した東京地裁民事2部は、申し立てを却下し、収容を認めたのです。同じ時期に扱ったアフガン難民申請者の訴訟で、二つの全く異なる決定が下される事態となりました。自分たちだけがなぜ収容され続けるのか、理由もわからないまま、4人は収容所に留め置かれることになりました。

 それから1ヵ月後の12月中旬。高等裁判所は一度解放を決めた5人についても、解放の決定を取り消します。決定がくつがえされたことで入管に出頭を求められた5人は12月21日、弁護士やJARのスタッフに付き添われ、入管に向かいました。児玉弁護士は、「再び収容されることがわかっているのに彼らを入管に連れて行くことはとてもつらく、苦渋の決断だった」と振り返ります。収容所に向かう直前、5人は言いました―支援していただいた方に感謝しています、私たちは逃げも隠れもしません。この気丈な言葉に再び弁護団は奮起します。s-1_text.jpgクリスマスもお正月も返上し、収容された全員の解放にむけて、アフガン国内の事情、他の先進国の難民認定事例、収容されている難民の健康状態などについて、入手可能な全ての資料を取り揃えて1月4日に再び訴訟をおこしました(収容令書の取消訴訟及び執行停止の申し立て)。その結果、3月1日に東京地裁民事3部は申し立てを認め、収容を含めた退去強制の執行の停止を認める決定をしました。藤山裁判長は、収容によって身柄を拘束することは「個人の生命を奪うことに次ぐ重大な人権侵害」であるとし、「このように人権に重大な制約を及ぼす行為を単なる行政処分によって行うこと自体が異例なのであるから、この処分の取扱いには慎重の上に慎重を期すべき」と言い渡しました(2002年3月1日の東京地裁民事3部決定理由より抜粋)。難民申請者の収容が人権侵害にあたると明言した藤山裁判長の決定は、日本の司法が難民への理解を示した貴重な第一歩となったと児玉弁護士は振り返ります。

コラム:弁護士・児玉晃一さんのお話

同じ人間として生きていけるように

 弁護士たちが難民の解放にむけてとりくむかたわら、JARは弁護団やほかの支援者たちと連携し、収容中、そして一時的に解放された難民の生活面、医療面の支援に力を注ぎました。突然に収容された申請者たちは、肉体的にも精神的にも疲れ果て、体調を崩し、自殺を試みる人も相次ぎました。彼らの心によりそい、生きていく気力を維持してもらうために心身の健康を保つ手助けが必要でした。生活支援を担当した当時のスタッフ新島彩子はこう語ります。
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難民である前に彼らも人間です。裁判が長引き、いつまた収容されるかわからない不安定なで状況で、働くこともできない彼らのストレスを少しでも和らげるのは非常に重要なことでした。実際に解放後に行った健康診断では、全員に急性心的外傷性ストレス障害(ATSD)の症状が見つかりました。


 また健康面の配慮のほかに収容をとかれたときの住居の確保、生活費の工面なども必要でした。こうした支援に奔走したのがカトリック東京国際センター(CTIC)・副所長の有川憲治さんです。カトリック教会の諸団体に支援を呼びかけ、支援金や物資のみならず、カトリック潮見教会をはじめ数箇所の教会や修道院に住居や食事も提供して頂きました。有川さんは当時を思い出し、次のように話してくださいました。

インドシナ難民支援がひと段落し、私は国内での難民問題は解決したと考えていました。しかし、日本には他の地域からも難民がきていたのです。その存在を知り、難民問題に関心をもち、日本にも難民をより多く受け入れるべきではないかと考えるきっかけとなった出来事が、アフガニスタン人難民申請者支援であったと思います。


 有川さんがそうであったように、多くの方がこの出来事をつうじて、日本にも難民が逃れてきていることに気づかされました。また同時に、JARをはじめ収容されたアフガン人たちと接した支援者の多くが、彼らの気丈さに心を動かされ、「難民」という言葉につきまとう受身的なイメージが取り去られたといいます。有川さんは「支援する側、支援される側という垣根を越えて、お互い人間としてよい関係を築くことができた」と振り返り、難民と一対一で人間関係を築きながら支援を行った経験がその後のCTICの難民支援の原点になったといいます。

コラム:CTIC・有川憲治さんのお話

 多くの人が「放っておけない」という気持ちで、アフガン難民申請者たちのために集まりました。弁護団、CTIC、JAR、またジャーナリスト、そして一人ひとりの支援者が、それぞれの立場でできることを分担し、難民たちを支えるゆるやかなネットワークが自然に形成されました。そしてその支援の輪が現在まで受け継がれています。

みえてきた難民支援の難しさ

 設立から3年をむかえたJARが、法的支援と生活支援を両輪として活動していくことの意義をあらためて実感し、そのために必要なネットワークを築く節目となったアフガン難民申請者収容事件。それは同時に、難民申請中という不安定な立場に置かれた人々を支援していく難しさを、改めて教えられる出来事となりました。

 収容のニュースが注目を浴び、問い合わせや取材が増えるにつれ、難民申請者の個人的な情報を求める声も強まりました。また本人たちからも「自分達は何も悪いことをしていないのだから、堂々と名前や顔も公表したい」という意向が出るようになったのです。設立以来、JARは難民申請者の個人情報の取り扱いに極めて慎重に対応してきました。なぜなら、個人情報が流出すれば、様々なルートで母国に伝わり、その結果、申請者本人や母国に残してきた家族の安全が守れない可能性があるからです。また申請手続きや裁判でも、申請者にとって不利益となる可能性もあります。ところがこの事件では、本人たちの強い意向を受けて、弁護士とも相談し、記者会見で名前や顔を公表したのです。それによってたしかに注目度があがり、支援者の輪は広がりました。しかしそれは最終的にマイナスの結果をもたらしたのです。記者会見で公開した情報をもとに、一人ひとりの海外渡航歴、銀行口座残高など難民認定とは関わりのない個人情報などが法務省により調査・公表されました。入管が公表した情報は、難民申請者が難民条約によって定義されている難民かどうか、つまり、彼らが人種、宗教、国籍、特定の社会的集団の構成員であること、または政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるかどうかを判断する上では関わりのない情報でした。しかし残念ながら、次第に世論も彼らに厳しい目を向けるようになり、高裁でも取り消しは認められず、彼らの多くが本国への帰国を余儀なくされたのです。

 個人情報の公開が、最終的には難民申請者のためにならない結果を生んだこの出来事で、改めて難民への支援の難しさを痛感し、この痛みを無駄にしてはならないと身を引き締めたのでした。
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