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講座・イベント

難民・難民支援者が経験を語る ?難民支援協会設立2周年記念講演会?

講演会報告

09/26/2001
難民支援協会は9月15日、早稲田奉仕園にて、設立2周年記念講演会「難民・難民支援者が経験を語る」を開催しました。講師として、ビルマ市民フォーラム運営委員の田辺寿男氏と、1999年に日本で難民に認定されたビルマ人のティン・ウィン氏をお呼びし、それぞれの立場からの難民問題を語っていただきました。


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010915_01.jpg田辺氏は、NHK国際局チーフディレクターとしても活躍しており、国際放送ビルマ語番組製作を担当しています。在日ビルマ人には、ビルマ名の「シュエバ」("黄金のお父さん"の意)として知られ、慕われています。この講演では、日本のビルマ難民を支援するようになるまでの経緯や、支援を通して感じたことを、気持ちを込めて話され、同時に日本の難民認定制度の問題点についても指摘されました。

田辺氏は、難民を「悪い、マイナスイメージ」や単に「困りきっている人」「逃げて来た人」として捉えるのではなく、世の中を「いい方向に動かそうとしている人々」と考えたい、と強く語ります。というのも難民を支援することで、法務省の行う難民認定手続き制度のこと、法律運用の仕方、日本のあり方を学び、考えるようになるからです。

日本の法律の運用によって、難民自身や母国の家族の運命が変わる。そして民主化運動を通じて、彼等の国の運命が変わる。だから何か自分にできる形で、彼等を支援していきたい。前向きな田辺氏のメッセージに、会場からの大きな拍手が沸きました。


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010915_02.jpgティン・ウィン氏は、学生時代よりビルマの民主化運動に参加していました。また、アウン・サン・スー・チー女史で知られる国民民主連盟(NLD)の党員であり、フリーのジャーナリストとしても活動していましたが、そのことにより軍事政権に逮捕された経験をもっています。講演では、再度の逮捕を逃れるために日本へ来たこと、難民申請手続きが遅々として進まなかったこと、さらに難民として認定されたにも関らず認定前と変わらぬ困難な生活を強いられていることなどを語って下さいました。

ティン・ウィン氏が難民認定を受けるためには、申請を行ってから2年の歳月を要しました。その後、通常インドシナ難民に与えられる社会受け入れへの支援が、氏のような難民条約上の難民には与えられないことを知らされ失望しますが、弁護士の支援を受け、後に呼び寄せることが叶った家族とともに例外的に日本語教育・生活指導を受講できました。しかし今も、就職斡旋など社会的保障が十分でない中、将来に不安を抱えながら家族を養っていく苦労をされています。このような氏の経験談は、迫害の恐れから異国に庇護を求める人々の苦難や、日本の難民申請手続きの難しさについて、私たちの認識を深めてくれるものでした。なお講演にはティン・ウィン氏のご家族もかけつけ、参加者から暖かく迎えられていました。


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010915_03.jpg講演会の最後には、ビルマ市民フォーラムのメンバーであり、難民申請中に牛久入国者収容所(東日本入国管理センター)に収容された経験のあるM氏が、日本にいるのもビルマにいるのも変わらない」収容の実態を紹介し、難民申請者の置かれている状況の改善を求め強く訴えられました。

講演会は、全国難民弁護団連絡会議の大橋毅氏が司会を務め、55人(うち会員18人)の方が参加してくださいました。その中で、ボランティアの問い合わせや会員申し込みをして下さった方もいらっしゃいます。講演会後、「難民支援の重要性を知った」、「 "難民"というと外国で起きている問題のように考えていたが、国内での難民について考えるきっかけとなった」などの感想や、「この様な講演を今後も行うことで、一人でも多くの人が興味をもち、考えるようになればと思った。」など当協会への期待が参加者より寄せられています。
  
注 ビルマの民主化運動:1962 年以来、軍事政権が続くミャンマー【ビルマ】では、1988年に成立した現軍事政権と、民主化を求める野党である国民民主連盟(NLD)の対立が続いています。民主化指導者のアウン・サン・スーチー女史は、抗日闘争を通して独立に貢献した「建国の父」と呼ばれる故アウン・サン将軍の長女で、1980年代後半から学生らによるNLDを率い、民主化運動の象徴的な存在になっています。

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